神戸少年事件から 学校の市民社会化を考える(上)

1997年、『マスコミ市民』(11月号、マスコミ情報センター)に掲載された、内藤朝雄さんとノンフィクションライターの藤井誠二さんとの対談です。「神戸連続児童殺傷事件」や管理教育の問題について語っています。


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「神戸少年事件から 学校の市民社会化を考える(上)」


愛知県の“管理教育”を受けた共通の体験から

藤井 「『Ronza』の97年9月10月合併号にお書きになった、酒鬼薔薇事件についての論稿「14歳の凶悪犯罪は驚愕すべきことか−−少年を市民社会の論理の中へ」という論文をめぐって、お話をしていただきたいと思います。
 まず、ぼくと内藤朝雄さんの関係というか、共通になるバックボーンというか、そういうものからお話をしたいと思っているんです。ぼくも内藤さんも愛知県出身で、ぼくが入った東海中・高校というのは、6カ年一環教育で、中学校は「暴力管理主義」なんだけど、高校は一転して「自由主義」になるわけです。本当に国境が変わったのかと思うくらい環境が変わる。同じ敷地の中にあるのに。
 中学のときは、とにかく、教師の体罰がすごかった。殴る蹴るからはじまって、とにかく点数主義で縛るわけです。当時は、校内暴力の時代、ぼくは中学三年生のときに、一週間くらい出席停止処分になるわけです。中学を卒業する84年に、三重県の尾鷲(おわせ)中学というところに、制服警官が卒業式に入って、いわゆる卒業式のツッパリ生徒を「鎮圧」するという事件が起きて、ひとつのターニングポイントの年だったんです。その翌85年から、一気に校内暴力というのが沈静化されていって、管理主義教育というものが強められていくという世代なんです。
 ぼくは、当時、高校一年生になってから、たまたま友人から借りて読んだ『禁断の教育』(宇治芳雄・元産経記者)という本−−愛知の管理主義教育を取材して書いた本−−その「主人公」が内藤さんなんです。あれは、当時、県立東郷高校生だった内藤朝雄さんが、学校を改革するために立ち上がるけれど、その立ち上がりが、全部教師によってつぶされていくという過程が、つぶさに記録されているんですね。だから、ぼくは、その当時はじめて、内藤朝雄という名前を知るんです。
 ぼくの世代では、若い高校生とかがグループをつくって、愛知の管理教育に対峙する運動をいろいろはじめたんですけど、そのなかでは内藤朝雄さんというのはヒーローだったんですよね。」(笑い)

内藤 「ああ、そうですか」

藤井 「当時、内藤さんは東郷高校というところにいて、東郷高校というのは、60年代、70年代安保闘争のなかの権力側からというと学園紛争ですが、そのなかのいわゆる「荒れる学園」というのを鎮圧するために生まれてきた、文部省から愛知県の教育委員会というタテのライン直轄の「管理主義モデル校」としてできたのが、1968年です。」

内藤 「東郷高校は、元(注)・仲谷県知事が教育長のときに、“新設校プラン”のモデル校として創立されました。それ以降、愛知県立の新設校は、東郷高校を手本にしてつくられるわけです。」

    (注)誌上では「現」となっているが、当方のミスでした。(内藤)

藤井 「ものすごい暴力主義と校則に象徴される管理主義があって、当時はマル東訓練っていうのがあり、軍事訓練みたいな行動訓練があるんですね。教師の笛や号令によって同じジャージを着て、ドーッと生徒が走り回る。」

内藤 「頭、右(かしらあぁぁぁ、みぎっ!」とかね。

藤井 「ナチス式の軍隊訓練みたいですね。」

内藤 「旧陸軍のね」

藤井 「それをマル東訓練っていうんです。マルを書いてその中に東って書くんですけど。そのマル東訓練中に、女子生徒が自殺をしているんです。その事件は内藤さんの少し前の世代に起きたことです。」

内藤 「生徒会長に立候補しようとして、推薦者を何人か集めているときだった。そのときに、5、6人の教員に取り囲まれて、監禁されて、けがをしたといったようなことがありましたね。」

藤井 「あれは、届け出のぎりぎりの時間、チャイムが鳴るまで監禁されていたんですか。」

内藤 「そうです。」

藤井 「二人の共通の体験としては、ぼくは愛知の管理主義の学校を外から見てきて、内藤さんは中から見てきたということがあるわけですよね。」

内藤 「ぼくがそこで考えていたのは、集団のなかで人がすぐ変わってしまうというか、自己開発セミナーとねばねばした「人情」とを巧妙に組み合わせたような、人格変造テクニックの恐ろしさですね。ここで「人情」というのは、嫌がる口をこじ開けてねじ込むような、しばらく飯が食えなくなるような気持ち悪い「人情」です。マインドコントロールされるのは生徒だけでなく、ごく普通の教員でも、東郷高校に赴任してくると数ヶ月で、どんどん人間が変わっていくのが手に取るように見えるわけですよ。そういう組織のなかでは人格の尊厳なんてなくて、いい年の生徒もいい年のおじさんも、汗や涙や笑いや罵声や卑屈や侮辱やいばりちらしや暴行といった諸関係のアンサンブルを肉弾的に生きていて、ほとんど犬やうさぎと変わらない。ショックですよ。
 たとえば、頭のはげ上がった分別盛りのオヤジが、学年主任になったのがうれしくてしょうがなくて、時代がかった殿様口調で「…ぞよ」と、露骨に言っていたのに驚いた記憶があります。コミューン的な役柄アイデンティテイを露骨に生きると、こんな恥ずかしいことを平気でできるようになるのかと、驚いた記憶があります。生徒に対しては、露骨に暴力を振るうわけなんですけど、ただ単に暴力を振るうということではなくて、その巧妙な組織の仕方、配置の仕方が、非常に印象深かったんですよね。内側からそういうふうに感じてしまうように変えられていくというか。それは、ある意味でいうと、心の教育なんです。
 管理というと、ぼくは管理教育という言い方はまちがっているのではないかと思うんです。「左」の人が疎外論というか、本来ならば「万人は各人のため、各人は万人のため」といった、そういう溶け合った状態で集団であることが、同時に自己実現であるような、そういうようなものを理想とする傾向がありました。それに対して、「こころ」を無視したベルトコンベアで、冷たく人と人との間に距離があって、もののように管理するというようなイメージで管理ということが言われていたのです。
 そのイメージで管理というと、じつは、学校でやっていることは、ちょっとずれてきます。じつは、管理じゃないんじゃないか、管理教育という言葉は違うんじゃないかと、高校生のときもぼくは考えていました。むしろ、心のひだのような、そういうところに、虫が入るというかね。
 たとえば、こんな話があります。あるカタツムリがいます。そのカタツムリは、ある寄生虫が体内に入ると目玉が大きくなって気の実そっくりになってしまいます。そして、普段は夜行性なんだけど、昼間明るいときに、木のてっぺんに登るようになります。そうするとカタツムリは、木の実も食べる鳥に見つかりやすくなります。その目玉を木のみと思って、鳥がついばみます。その目玉の部分に寄生虫がいるんですよ。こうして、寄生虫が鳥の体の中に入るんですね。じつは、その寄生虫っていうのは、カタツムリが第二次宿主かなにかで、その次の宿主が鳥なんですよね。そういうふうに、寄生虫のために宿主の行動様式が変えられてしまうわけですよね。
 こういうふうに、メンタリティ、行動様式が、別のものの乗り物になってします。一人ひとりが集まってできた集団が、じつはあの寄生虫のように内側からはたらくものでもあって、それをうまく各学校に配置して増殖させていたのです。つまり、心のひだのような部分からねじり込み、人びとの内側から食い破るような仕方で、人びとを内側から動かしながら、しかもそれが、複数の人間の、多くの人々から成るシステムでもあるという、そういう恐ろしいお化けのような世界を、当時、ぼくは見ていました。やり方としては、ただ単に、暴力を振るうのではなくて、人情とか、またはある種の涙とか、それからあと、鳴り物入りの音楽ですよね。そして、あとは、必ず合宿なんかやると、暗くして、ろうそくの火を灯すとか。」

藤井 「その回りで裸で踊るとかありましたね。それを林間学校でやらせる。一種の集団催眠ですね。」

内藤 「そうですね。だから、中退してから、市民運動の車を借りてビラ撒いたり、こんなことでいいのかってやってると、やっぱり「学校の悪口を言わないで!」とか叫ぶ女の子がかなりいました。それから、ぼくが強制的にやらされる部活のなかで、参加しない個人の自由のようなことを主張していると、やっぱり「あなたは自分勝手で、みんなの気持ちを踏みにじるから、ヒトラーと同じだ!」と叫んで泣くような女の子もいたし。それこそ、そいういう状況っていうのが、きっちりつくられてた。」

藤井 「今、おっしゃっていることは、そのとおりだと思うんです。来年早々に出版する『暴力の街』で描いた、福岡県近代付属女子高校の教師が子どもを殴り殺した事件で、殺した先生に対する嘆願署名運動がおきた。署名運動の核となったのは、その先生に教わった子どもたちなんですね。今は卒業して、子どもがいたり家庭をもったりしているわけなんですけれど、その子たちも、内藤さんがビラを撒いていたときの反応と同じなんですよ。結局、学校を批判しないで、あの先生はいい人だった。私たちは素晴らしい、いい先生に教わって、いい進学をして、いい就職ができたんだというような思いが強くて、逆に体罰を批判する地域の市民運動とか、挙げ句の果ては、その被害者を、あの子は不良だったとか、覚醒剤中毒だったとか、いれずみを入れていたとか、そんな悪い子だから先生が暴力を振るわざるをえなかったんだ、というようなロジックを垂れ流していくわけです。で、そういう彼女たちの思いというのは、内藤さんがおっしゃたことと、すごく重なる部分があると思います。」

内藤 「ええ、そうですね。」

藤井 「子どもたちのなか、いわゆる学校を体験してきた人たちに、一種の「共同性」みたいなものを巣作らせるというか、共に学び、良き師に出会い、良き思い出をつくっていたという、そういう学校体験という一種の「共同性」を染み込ませていく。逆にそれほど恐ろしいものはないんですよね。それに浸食された人間っていうのは、盲信的にもなるし、外部からの声を一切受け入れなくなる。そういう人間に変化していくわけですよね。
 そんな一種の共同性みたいなものを生徒の内面に巣作らせていくところに、管理教育の本質みたいなものがあったんではないかという気がします。だから、いかに東郷高校というところが、教師の暴力があったり、人権侵害があったりといっても、本当に恐いのは、卒業した子どもたちのなかに埋め込まれた一種の共同幻想みたいなもののほうなんですね。要するにマインドコントロールされているということなんでしょうか。」

内藤 「で、しかも、それとまったく同時並行的に、徹底的にせちがらい露骨なエゴイズムが蔓延しているんですね。それらは全然矛盾しないどころか、露骨なエゴイズムと、それからそいういうカルトみたいなところとは、互いに相乗効果を及ぼしあっています。ぼくは高校生のときには、やはり生徒の目からしか見ていなかったから、ある人からの手紙に蒙を啓かれたことがあります。当時、東郷高校で一人だけ、暴力的に振るまわない良心的な先生がいました。その人は、教員集団のなかでひどい目にあっていたようなんだけど、集団的な狂気のなかで正気を貫いていました。その人から5年ぐらい前に手紙が来て、ぼくは揺さぶられました。それ以来、カルト的あるいは自己開発セミナー的な集団性と、こすっからい利害計算とのマッチングの構造が重要だと思うようになりました。その方によれば、東郷高校の教員たちは、そういう自己開発セミナーじみた悪ノリを生きながら、じつは、それが同時に出世への道であったのだ、みんな自分の出世のことを考えて生きているんだと。彼らはみんな、ひどいことをした人ほど、愛知県の教育界の中枢部にいると。で、むしろ、内藤くんというのは、ある意味でいうと、彼らにとってはありがたい存在で、内藤くんにひどいことをすることが、自分が学校に対する忠誠を示すことになり、それが自分の出世につながると。」

藤井 「点数が上がると。」

内藤 「何をやったら忠誠を示せるかという、そういうネタとして、内藤くんは非常に機能していたんだって書いてありましてね。これはすごいと思いました。基本的にエゴイズムで生きていて、かつ、そういうカルト的なものでやっている。ぼくは、やっぱり管理教育っていう考え方に反対なんだけど、今までいい言葉がみつかりませんでした。それが最近「カルト資本主義」という言葉を見つけました。管理教育ではなくて、カルト資本主義集団教育なんですよね。やっていることは。これからは管理教育という言い方をやめて、カルト資本主義集団教育と言ったらどうでしょう。」

藤井 「それはわかりますね。そういうふうに考えてみると、当時から、ルポライター鎌田慧さんも指摘されていたけど、トヨタ自動車というのがバックにあって、そのトヨタ自動車の良き労働者を送り出すために、学校の存在があるというふうなことが言われていました。それは、子どもたちをカルト的な労働者集団や属性のなかに放り込んで、企業に送り出していくということですね。戦後日本の経済成長を支えてきたのはまさにカルト資本主義です。個人の精神性をマインドコントロールして「企業人」としてしか生きることができなくさせていくやり方を学校ですでに行う。」

内藤 「しかも、最近はひとひねりがあって、大企業の、資本主義の、ある意味で言うと、良くも悪しくも偉大なところなんだけど、資本主義っていうのは、「成功は失敗のもと」っていう言い方があって、前の時代で大成功したやり方が、後の時代で滅亡の要因になるということには、非常に敏感なんですよね。今財界や官界は「左」の人を追い越して、これまでの全人的丸抱えの疑似共同体というやり方を本気で見捨てようとしているような気がします。
 それに対して、「左」の人のほうが、今まで人びとを会社の家畜、学校の家畜にしてきた疑似共同体を保持しようと、自由化や脱・疑似共同体化を阻止しようとしているようです。ぼくはこれを左翼反動と言っています。学校コミューン主義や会社丸抱えは、組織のなかの人格権や市民的自由を、あっと驚くほど剥奪してきた。本当に、あっと驚くほどひどいことをしてきたわけです。自由化や脱・疑似共同体化は、いままでのいきさつを見れば明らかに、屈従的な人格支配からの人間解放です。「左」の人びとは、国家権力や独占資本主義や財の不平等分配からの解放ばかり考えて、中間集団の人格支配からの個の解放をまじめに考えていなかったようです。それで、お得意の「人間解放」のところで財界や官界に遅れをとってしまったわけです。この黒星を、まずは恥辱に震えながら認めるべきです。これは体育系ばりばりの大学が試合で東大に負けるような「不祥事」ですからね。もちろん、自由化や脱・疑似共同体化は、財界や官界だけにやらせておけば分配の不平等を拡大する傾向を強くするでしょう。でも、だからといって、この不平等を阻止するために、学校コミューン主義や会社丸抱えを保持せよという人たちは、人びとの人格権と市民的自由を剥奪する側にいるのです。財界や官界が進めようとしている学校や企業の自由化や脱・疑似共同体化は隷属からの個の解放であることを認めたうえで、旧反体制派の人びとには、副作用として生じる不平等分配を緩和するセクターとしてはたらいてもらわなければなりません。時代に取り残されて滅びるよりは、「貧乏人は麦を食え」というせりふを財界や官界に言わせることなく、自由化と脱・疑似共同体化を健全に押し進めるチェック勢力として、イノベーションを試みてほしいですね。資本主義の自由化と一人ひとりの人間生活の自由化とをマッチさせる仕事のためには、旧反体制派の彼らも必要なメンバーの一員です。健全な資本主義は、このような敵対的補完構造のチェック網を必要とします。」



旧態依然の「子ども観」からの脱却

藤井 「内藤さんが『Ronza』のなかでお書きになっている、子どもの「本来性」という信仰、すごく大事なキーワードだと思うんです。
 東郷高校で行われてきたような−ぼくは、管理教育という言葉をあえて使いますが−やはり、子どもの本来性というものを、純真とか、無垢とか、自然とか、子どもとはそういうものが前提で、それを外からの外圧によってコントロールしていかねばならない。それも、厳しいコントロールをしていかなければならないんだという発想があります。それを批判する「左」の側も、子どもは本来、純真で、無垢で、自然で、善で、白紙であって、そこから個性を伸ばしていかなきゃいけないんだということを言っていたわけです。そういう視点にたって、管理主義教育を批判してきたわけだけど、旧態依然とした「子ども観」を起点としている点では、「右」も「左」も同じだったといえます。
 『Ronza』にお書きになっている「学校コミューン主義」というのは、学校を生命体化して、至高の価値は聖なるコミューンとしての学校の生命にあるというものです。学校コミューンを再生させていこうという論理に、「右」も「左」も集約されてしまうという現実があります。ぼくも、非常に学校コミューンというか、学校を生命体として再生させていこうという言い方は、すごく危険だと思うんですね。それを言い続けていくと、内藤さんがおっしゃっている、いわゆる市民社会のルールであったりとか、論理が入ってくる余地がなくなるでしょう。学校をいわゆる聖なる場所として維持していくためには、子どもは本来、純真なものだというような、いわゆる「子ども幻想」が根っこにないと、学校コミューンは維持していけないわけですから。
 ルポライターとしての現場感覚からものを言いますが、この間中学三年生に何人か集まってもらって対談をしたんです。そのときに、みんなが一様に言うのは、中学生だって人を殺すよ、ということを言うんですよね。中学生だって人の首を切るよ。あ、そうか、と思ったんですね。なんで大人はそうやって驚くの?と、みんな言うんです。彼らの何気ない一言が子ども幻想を突き破っていると感じました。
 いきなり、話の冒頭で「そういえば藤井さん○○くん(サカキバラセイトの本名)ってどういう人だったんですか」と聞いてくるんです。「なんで知っているの」とぼくが聞くと、「それはインターネットで知ってますよ、そんなの。みんな知ってますよ」なんて言うんですね。事件に対する情報をみんな一様に知っているわけですよ。大人が犯人の顔を出しちゃいけないとか、名前を出しちゃいけないとかって言ってるんだけど、かれらはいろんなメディアを使って、全部知っているわけです。14歳の少年が、残忍な手口で、首を切って、殺して、校門の前にさらして、挑戦状を書いてきたということに、同世代の子たちはたいして驚いていないんです。
 社会全体が、子どもがあんなことをする、14歳があんなことをするっていう、子ども幻想を裏切られたから、驚きがあったわけでしょう。でも、子どもたち自身は、あっけにとられているみたい。なんでそんなに騒ぐのっていうふうに。だから、彼らのなかでは「やるやつはやるよ」っていうくらいの感覚なんでしょうか。」

内藤 「そうですね。「子ども」っていうのは、大人が、自分たちを刺激しあって、欲情して、しみじみとした気分になるための、大人たちが喜ぶためのしかけなんですよ。子どもにとっては…」

藤井 「いい迷惑なんだよね。」

内藤 「正確に言うと、第二次性徴以降18歳ぐらいまでの人にとっては、いい迷惑です。しかもごく最近までは、そういうことをされて、ある意味で慰みものにされている当の本人たちが、本当に自分もそうだというふうに、慰み者としてのアイデンティティをもってしまうという状況があった。いい年をした16や17の青年が、自分のことを「子ども」って言うんですよ。きもちわるい。それに対して最近はやっと、第二次性徴以降の若い人たちが、慰み者としての「子ども」アイデンティティをもたなくなってきて、若い大人として当たり前のことをやりはじめた。だから、それはいいことなわけで、そんなのは別に、「闇が広がった」わけでもなくて、ひとつ状況がよくなったんだ、というふうにぼくは思いますね。「子どもたちの底知れぬ闇」なんて言っている評論家の方が、「底知れぬ藪」だったりするわけです。」

藤井 「明治以降、学校ができて、たかだか百年。そのなかで、中学生っていう言葉の響きに、いろいろな意味をぼくらはもつわけでしょう。でも、これは、13歳、14歳、15歳なんです。ぼくらは、子どもを見るときに、本来の肉体的なその成長、年齢よりも「学校年齢」を見ちゃうでしょう。小学生とか、中学生とか高校生とか。でもそれは、たかだかこの百年くらいの間につくられてきた学校年齢であって、そこに縛られすぎているんです。だから、13歳、14歳、15歳になれば、昔であれば、成人男性と同じように扱われて、あらゆる生活のなかの日常行動をともにしてきたわけで、日本のかつての村落共同体のなかでは当たり前だった。しかし、今は学校的存在で子どもを見てしまうわけですね。彼は13歳の少年だ、15歳の少年だ、18歳の少年だっていうよりも、学校に所属しているかどうか、通っているかどうかっていうふうに見てしまって、学校的存在であると、すごく庇護しなきゃいけない、守らなきゃいけない、そして、大人がいかようにでも染め上げることができる無垢で、純真な存在であるというようなふうに見てしまう。そういう呪縛から解放されるべきなんです。」

内藤 「実際、16歳で女子は結婚していいんですよね。」

藤井 「民法ではそうです。」

内藤 「17歳でセックスしたら逮捕される。(笑い)」

藤井 「それは淫行(いんこう)条例が適用されるのです。刑法では13歳以上に性的同意年齢が定められているのに…。法律がそういうふうに定められているにもかかわらず、社会一般の「子ども観」「像」はおくれています。ぼくらのなかの子ども観というのを変えないと内藤さんがお書きになっている市民社会のルールが入ってこられなくなる。
 たとえば、「体罰」について意見を交換しましょう。」



体罰」から市民社会のルール

内藤 「学校内の暴力に対して個人が法や公権力による救済を求めるという、当たり前の市民的対処は、学校や教育に対する冒涜として慣習的に禁じられていますね。学校の生徒を訴えるなんて、学校を訴えるなんて、学校のお友だちを訴えるなんて…、というわけです。その代償として、教員による恣意的な暴力は慣習的に認められることになります。「体罰をやめれば学校は不良生徒のチンピラ王国になってしまう」という現場の論理です。これは要するに、「暴力教員首狩り族」と「チンピラ生徒人食い人種」との部族抗争の論理です。この現場の論理は生徒にとっても、「学校はこういうところだ」という現実感覚になっています。だから、教員が「こわく」なくなると、「やっちまえ」ということになっているのです。「暴力教員首狩り族」のほうでは、これを「なめられた」せいで「荒れた」と考えて、教員による暴力が必要であることの証拠とします。でも実際には「荒れ」は、部族抗争の論理が学校という小世界の現実感覚になっていることから生じるわけです。お店で暴れたら警察が来る、高額の賠償金を払わされる、やりすぎれば刑務所行きだ、といった市民の論理が学校の現実感覚になっていれば、「荒れ」も「体罰」も生じないのです。スーパーマーケットや自動車教習所で、「なめる」「なめられる」をめぐる部族抗争が起こるはずがありません。暴力をふるえば生徒も教員も等しく法の下に裁かれるのが市民社会の「いろは」です。この「いろは」を確保するだけで、現場の論理、つまり部族抗争の論理は消滅し、暴力による学校の地獄絵図はすっきり消滅します。こんな「いろは」を言わなければならないほど、学校は市民社会から離脱してしまったんですね。」

藤井 「ぼくはよく思うんですが、たとえば、ぼくが学校を卒業した80年代半ば頃に、警官隊の導入があちこちであって、すごく批判されたんです。学校に警官を入れることを、すごく悪だととらえているわけです。むろん、ぼくは、当時は問題だと思っていましたし、むろん今でも基本的にはそう考えています。しかし、学校を市民社会と地続きにした場合、学校だけが警察権力の届かない場所にしていいのかどうか、ということは再考してもいいのではないでしょうか。
 これは、誤解をしてほしくないのですが、教師をぶん殴る生徒とか、シンナーを吸って荒れ狂って壁をぼこぼこ穴をあける生徒がいたら、すぐに警察を呼べということではない。逆に、生徒を殴る教師はどんどん警察に逮捕させるほうが、ぼくはすっきりして、明確でいいんじゃないかという気がするんですね。殴る教師は全部、生徒に警察へ通報させて、あるいは、殴らない先生に通報させて、どんどん警察権力が入ってきてもらったほうが、教師にとって、これが市民社会のルールなのか、殴ったらつかまるんだというようなことが、身にしみてわかるんじゃないかという気がします。学校というスペースに警察を入れるべきではないという学者や弁護士さんとがいらっしゃいますけど、そこは一概にはそう言えないんじゃないか。そのルールは、教師と生徒の「権力関係」から考えて、両方とも「平等」にあてはめるのはどうかと思いますが、学校は「治外法権」ではないのです。」

内藤 「一人ひとりの自由と人権は、身分が上の者の温情や横の感情共振的な団結を場当たり的に積み重ねることによってではなく、上や下や横や斜めからのさまざまな権力をシステマティックに制限する、(注)法秩序を根幹とした社会編成によって守られます。警察は裁判制度に組み込まれており、法によってその振る舞いかたが設計された人工物です。

 (注)誌上ではこの「、」が抜けており、そのため誤解を受ける表現になっている。

裁判制度には、権力の濫用を防ぐために考え抜かれたツール(注)が縦横無尽にはりめぐらされています。

 (注)例えば起訴状一本主義です。現在の対審構造は起訴状一本主義を組み込んでおり、  少年法を対審構造にすることは、むしろ予断や偏見から少年を守ることにもなる。

それに対して教員による制裁や学校人民裁判の吊し上げは、その自然な胸先三寸や「みんなの気持ち」にまかされます。たまたま担当の教員や「みんな」が「いいひと」であればホッと胸をなでおろし、「わるいひと」であればマッサオになってしまうような境遇は、奴隷の境遇です。ご主人様がどういう人か、相性がいいか悪いかで自分の運命が決まってしまうのですから。たとえ「やさしいご主人様」に当たる場合が多いと仮定しても、このような仕方で一人ひとりの運命が左右される奴隷の境遇そのものが、自由な市民の社会では許されないことです。「右」にせよ「左」にせよ学校コミューン主義者たちは、法の支配のもとで私刑(リンチ)が禁止されていることの意味をもっと深く考えるべきです。個を押しつぶすような過度の中間集団自治は解体し、暴力に対処する機能は十分に物象化された司法システムに譲るべきです。
 たしかに、冷戦構造のなかで、警察が野蛮なことをやっていたなりゆきがある。それに対して、だから警察を入れるなっていうんじゃなくて、警察の対質を改善しなきゃいけない。」

藤井 「もちろんそうです。」

内藤 「警察の改革をして、ちゃんと市民社会の警察としてはたらいてもらわなきゃいけない。ぼくは、高校のときに、教員が「お前、顔つき気にくわねえ」っていうだけでぶん殴ったり、めちゃくちゃなことをやって、それを通報しに学校の近くの和合警察署に行ったんですよ。すると、「先生を警察に言うなんてのはいかん」と(笑い)。で、家の近くの瑞穂警察署に行ったら、やっぱり「君のようなのは左翼になる」ってね。警察自体に、そういう対質があるから、余計、心配な人は、警察を嫌うわけなんです。だけど、そういう警察官自体を再教育して、かつて野蛮なことをしていた人は、処分するなりして、警察の改革をする。そして学校の市民社会化と、それから財界と官界だけにやらせたら、「貧乏人は麦を食え」っていうふうになってしまうんだけど、それに対して、ちゃんとチェックを入れる勢力と…」

藤井 「オンブズマン的な者が、きちんと第三者機関をつくってチェックをする。」

内藤 「そうですね。敵対的に補完し合ういくつかのセクターがチームプレイを組みながら、市民社会化していかなきゃいけないんですよね。」

藤井 「「子どもの人権弁護団」ができたのが、たしか、1985年です。いわゆる法の論理を、学校現場にもっていくという行動ですね。その弁護団結成は、ある意味で、すごく大きな改革点だったと思うんです。たとえば、体罰を振るう教師を、刑法の対象にしようということですね。あれ以来、教師の体罰を刑法の対象にして、どんどん刑事告訴刑事告発の対象にしていっている。ぼくはそれでいいと思うんです。ただ、そうなる以上は、やはり一定、子どもの暴力もその対象にならざるをえないんじゃないか。事実、いじめの裁判にそういうことが現れています。
 実際、今、日本全国各地で、いじめられたほうの親や当人は、いじめたほうに対して訴えていますね。それは、いじめという暴力、精神的な暴力をふくめたものを、損害賠償の対象にしようということでやっているわけです。なかには、いじめて警察に逮捕されたケースもあります。中学のなかは治外法権ではないということを教師も生徒も早くから学習、理解をするシステムをつくったほうがいいんじゃないかな。
 この誤解されるであろう発想が出てきた理由は、やはり目にあまる教師の体罰が絶えないことです。教師の体罰をうけて殺されてしまったり、大ケガをするのは今や不思議なことではありません。生徒が「体罰死」しても、教師の7割が体罰を肯定しているありさまです。つまり、教師に「体罰はいけない」ということを言葉で説明してもわからないのですよ。先日、ある「体罰を容認していて、自身でも振るう」小学校の女性教師に「市民ルールとは、あなたが逮捕されることだ」と言ったら、「教師と生徒には特別なルールがあるのよ」と怒っていました。「特別な権力関係」が発展して、生徒を殴り殺してしまうことに気がついてないんです。それをやっていくと、東郷高校みたいな学校だったら、あっという間に先生が、どんどん検挙されてしまって、いなくなってしまうでしょうね。」

内藤 「教員が「愛のムチ」に熱狂しているように見えても、第一原理と第二原理があっって、第二原理がそういうカルト的な悪ノリなんだけど、第一原理は利害なんです。だから、ちょうど戦争中にハッスルした人が、戦後になって、すぐにカメレオンのように変わったって言いますよね。藤井さんがいうシステムが学校に導入されれば、ああいうふうに、みんなカメレオンのように変わると思いますよ。特に、今まで、ぼこぼこに殴っていた教員ほど、場の論理で動いているから、ころっとかわりますよ。」

藤井 「殴らないようにね。」

内藤 「ええ、そうです。」

藤井 「体罰は教育学的にいいとか悪いとかっていうような、いわゆる価値の伝達みたいなものは、教員には伝わらないと思うんです。システムをいじれば、体罰をふるう動機も変わるということなんですよね。」

内藤 「場のリアリティが変わっちゃいますよね。」

藤井 「毎年、文部省に殴った教師のリストが上がってきます。それは、教育委員会から上がってくるから、ほんの一部なんだけれど、ほとんど処分がない。」

内藤 「そうですね。」

藤井 「訓告や戒告、減俸ぐらいですね。これは懲戒ではありません。だから学校のなかで、ぼこぼこ殴っても蹴っても罪にならない。たとえば、それをもっともっと重い罪にして、それこそアメリカのミーガン法のように体罰常習教員は氏名を公開してしまうとか。」

内藤 「なんといっても人事システムをいじることは、組織論や経営学なんかのほうでは常識になっているのに、学校も組織なんだけど、人事システムの操作ということに関しては、ほとんど学校問題を扱う人というのは、問題にしていないですね。これは非常に怪しいことだとぼくは思っています。それこそ、そういう、学校についての変な語り方で、変な癖がついているとぼくは思うんですよ。」

藤井 「学校は特殊なユートピアとして語られる習慣がついていることが「変な」ということですね。」

内藤 「きっと、みなさん思いつかないと思うんですよ。別に愛知県だけじゃなくて、全国的に教員がむちゃくちゃ凶暴になるときには、その暴力の蔓延を支えている利害構造があるはずです。ああいう暴力対質っていうのは、ただ単に、ああいうなかで、自然発生的に生じたというよりは、有力者のネットワークからなる地元の教育行政を背景とした利害構造のなかで起こっているわけです。こういうときに、法や人権を大切にするタイプの教員たちは、逆に左遷されたり出世コースから外されたりするわけですよ。教員たちの行動は、構造的な出世や保身のシステムのなかで考えなければなりません。みなさんやっぱりヒラメですからね。構造的な暴力や人権侵害はそういうなかで起こっています。実際にいくら新聞や雑誌で暴力や人権侵害が問題になっても、「俺たちのシステムのなかで、ちゃんと出世して、主任になって、教頭になって、校長になって、『われわれのこの世界』で力をもってるんだ」、となります。「人権だの何だのって言ってる奴らはいつまでもヒラのままじゃないか」と嘲笑っているんじゃないでしょうか。そういう自信をもたせてしまうシステムがあるかぎりは、やっぱりだめだと思うんですよ。このシステムを根っこのところから壊さなければなりません。生徒の人権侵害をあおる対質をつくりあげた、そういう悪いことをしてエラくなった、全国の地元教育界の有力者たちを、責任ある地位から退かせるようにしなきゃいけない。生徒に対する過去の暴行歴がひどい人は解雇、あるいは生徒と接触しない職種にまわすべきです(この場合、栄転ではなく左遷という形にすることが大切です)。下のほうからは薬害エイズの責任追及のような草の根運動をやるべきだし、上の方からは文部省が強権を発動してまでやるべきです。ナチスの残虐行為を企画した人たちっていうのが、やっぱり、戦後きびしく責任を追及されてるし、日本だって、公職追放があったわけじゃないですか。それと同じことです。これからは、次の三つのことだけは確実に実行する必要があります。
 第一に、構造的な暴力や構造的な人権侵害の「学校づくり」を進めてきた「地元教育界の功労者」たちを教育行政の責任ある地位につけないこと。責任ある地位についている場合は、辞めさせること。またそのような人びとからなる有力者のネットワークから、地位と資源を調達し配分するパイプを断ち切ること。
 第二に生徒に対する暴行や人権侵害を行ってきた人物を主任や教頭や校長の地位につけないこと。
 第三に、これから生徒に対して暴行傷害を起こす教員は、通常の暴行傷害犯とみなして司法機関に通報し、事実関係が明らかになった時点で解雇すること。
 さらにこの三つが確実に実行されているかどうか、地方の教育行政を監視する、下からと上からのチェックシステムをつくる必要があります。



学校という空間での「人権」

藤井 「市民社会というルールの話に戻すと、学校というところは不思議なところで、学校に入学すると仲良くしましょうとか、お友だちをつくりましょうとか、みなさん一緒に動くことがとってもいいとされていますね。それは「右」も「左」も同じように言うでしょう。でもじつは間違っていると思うんですね。」

内藤 「そうですね。」

藤井 子どもというのは、もしかしたら別に好きでもない、別に友だちになりたくない「個」が、たまたまひとつのクラスにくくられて、「仲良くしましょう」ということを矯正される。これは反市民的な発想そのものであって、本来そういうことをしなくてもいいわけですね。嫌なやつと机を並べたくなければ、本来なら、そう言えなければいけない。そこを、子どもが50人あつまれば仲良くするだろうというような、これもまた、子ども信仰、子ども幻想ですね。その呪縛も相当強いものがあります。」

内藤 「学校の「いじめ」を穴があくほど眺めていると、何をしていてもリアリティがずれていて、「何が」というのではなくて、生きている瞬間瞬間に現れる世界そのものが根腐れしてしまっているような、そんな根本気分が見えてきます。どうも不安や憎悪といった感情とそれが結びつけられた対象とのつながりが解体して、その解体した断片が充足の仕方を忘却したままさまよっている、といった感じです。それが、慢性的で漠然としたイラだち、ムカつき、空虚感、落ち着きのなさといった仕方で現れています。「いじめ」はこのような〈欠如〉からの、集合的な全能感による「癒し=祭り}です。
 ところで、人間がこういう壊れ方をする外的要因は、次の三つです。
 第一に、無力な状態でいためつけられ続けること。
 第二に、逃げることができない閉鎖的空間への拘束。
 第三に、心理的距離の強制的あるいは不釣り合いな密着。
 収容所と化した学校は、この三つの条件を全部満たす傾向があって、かなり強烈な有害環境なんです。ところで、この第一と第二の条件はわかりやすいのですが、第三の条件、強制的にべたべたさせることの有害性は、盲点になっていて、あまり問題にされていません。でも、これが一番破壊的な要因なのかもしれません。
 あかの他人たちと強制的にべたべたさせられる体験は、自己と他者が生きている根本的なところを破壊します。共生を強いられて生きている人びとは、個と個の自由な関係が熟するテンポを先回りして、他人の「こころ」が自分のなかに無理強いで入ってくるから、自分も他人もわけがわからなくなって、自己がうつろになってしまいます。
 こういう場で教育されてしまった人びとは、わけもわからずにべたべた密着しながら、わけもわからずにムカつきあって生きることになります。望まぬ仕方ではらわたのひだのようなところに滲み込んでしまった、他人たちの内蔵の臭いに、わけのわからぬムカつきを抱くのです。これは殺意に近いといってもいいほど、ものすごいものです。
 学校でこういう集団主義教育を受けていると、本当は誰が好きで誰が嫌いなのか、自分は誰に対してどういう感情で生きているのかわからなくなり、その判断を集団的な保身と付和雷同に明け渡す傾向がでてきます。誰それが私にとってムカつくからいじめるのではなく、みんなからいじめられているから誰それがムカつく、といったこともよくあります。
 むかし、遊郭というところがあって、小さいときから売られてくるわけですよね。そういう少女たちっていうのは、自分が好きになって、この人を好きっていう感じで恋をする前に、売春をさせられるわけですよね。で、そういうことをすると、基本的にこの人が好きであるとか、親しみを感じるとか、いいつき合い方をしようとか、この人はこのくらい大切な人であの人とはあのくらいの距離で生きているとか、そういうことをつかさどる心理システムがぶっ壊れちゃうわけですよ。クラスに閉じ込めたうえに、さらに班なんてのをつくって、意図的に個として距離をとる余裕を与えないように生活空間を設計して、べたべたさせる。学校コミューン主義者は、個が自律的に距離をとることを毛嫌いしますから、関係の結節点から実体的な個が「物象化」してくる余裕を与えないように、関係のアンサンブルをぎゅうぎゅう詰めに詰めてくるわけです。そうすると、心理システムがぶっ壊れてしまって、うつろになってしまうんですよね。」

藤井 「内藤さんが、「本来なら、他人の心なんて関係ない。だからやめておく。赤の他人だ。殴れば裁判沙汰になる」。これは当たり前のルールなんですよね。こう「いった啓蒙活動が、暴力減少のために必要になるはずだが、現在の学校では「こころのつながり」が強制され、互いに距離をとる権利も能力も剥奪されてしまう」という言い方も、まさにおっしゃるとおりだと思う。ばくは、子どもの権利確立ということを言っているわけですけど、人権というのは、それがあるほうが、互いの距離がとりやすくなるという「道具」でもあるんです。つき合いたくないのに、つき合わなければいけない、あいつは殴りたいけれど殴れない、その人を殺したいほど憎んでいるのに殺してはいけない、そういう他者との距離を「うまく」とるためのものであると思うんです。お互いが、お互いの土地や空間で生きていくために「人権」というのを考えていく必要がある。強制的な「べたべた関係」は人権を受け入れる余地を排除してしまうのです。
 だから、逆に考えれば、いじめの原因っていうのは、管理主義や、競争主義だったり、受験教育だと言われていて、そこから発生するストレスが原因だと言われていました。もちろん、それはそれで正解なんだけれども、それだけじゃなくて、今の学校体勢を批判する人たちが、まさに行ってしまっている「民主的」べたべた教育にも、端を発しているんだということを気づかなきゃいけないわけですよね。たとえば、学校の壁が無いとか、教室の席を固定しないとかだけで、人間関係の距離の置き方が、全然違ってくると思います。」

内藤 「クラスを廃止するのも、非常に大事なことですね。」

藤井 「この間、ある教員組合で、固定席を無くしたらどうかと提案したんです。そうすれば少なくとも、1986年に中野区でおきた鹿川裕史君自殺事件のように、鹿川君の席の上に花瓶を置いて、葬式ごっこをするような「いじめ」は生まれなかったんじゃないかっていうことをいったら、そんなはずないって言うんですよ。ぼくが言っていることが理解できないわけですよ。少なくとも、席が決まっていなかったら、特定の「いじめられっこ」の席に花瓶を置きようがない。どこに座るかわからないわけだから。そういう単純な考え方がなぜわからないのかなって、愕然としました。」

内藤 「学校はみんなが寄り集まって、みんなが集まるという形で、いろんなことをするところであり、そのような集団性を中心とした学校教育が人格形成の中心的な場でありる、あるいは中心的な場でなければならないという偏った意識があります。まあ肉屋が肉を食えと言い、魚屋が魚を食えと言うのは当然ですけど、食いたくもないものを口をこじ開けてつっこまれてはかなわない。」

藤井 「先日、文部省が発表したんですが、保健室に行く子が急増しています。保健室は、過剰で過密な人間関係から、唯一脱却できるところなんですよね。本来なら、市民社会においては、そういうような場所が無ければいけないのに、学校という空間は、人間同士が、べたべたべたべたくっついていなくてはいけないし、いわゆる、死角がないわけです。いつも教師の目があったり、同級生の目があったりする。先輩の目もあったりする。どこの空間にいても、点数化される。そして、いくら良き先生であっても、生徒を点数化する権力を持った、生徒にとっては利害関係以外のなにものでもない関係なわけです。」

内藤 「しかも利害関係でありながら、かつ同時に、「純粋無垢」な情緒の絡み合いでもあって、その辺を教員も生徒もまったく欺瞞と思わなくなってしまいます。ちょうど、ジョージ・オーウェルの『1984年』のなかにでてくる、ダブルシンキング、二重思考なんです。嘘をつきながら正直なつもりでいる。矛盾する二つのことを、矛盾すると知りつつ、同時に信じ込むことができる。こすっからい利害計算とある種の「純粋無垢」を売りものにする「教育」教の教義とは、論理的に考えれば矛盾するはずなんだけど、だけど、論理的に考えなくて、むしろ、絶えず都合よくパッチワークをやっているわけですね。」

藤井 「その場合、教員の側の心理というのは、ストーカーの心理状態に似てるね。この間、どこかの教員組合で、学校の教員ストーカー説を唱えたら、現場の教員からひんしゅくを買ったんですけど、ぼくは似ていると思っているんです。ストーカーというのは、やっていることは犯罪行為なんだけど、でも当人は追いかけている相手に受け入れられるはずだと思っているんですよ。これはいろいろな研究からわかっていることで、自分は絶対に相手から好かれているはずだ、受け入れられるはずだ、つきまとっていけばいいんだというふうに信じ込んでいるわけなんです。相手が、じつは迷惑だと思っていたりとか、やめてくれと思っているとは思っていないわけですよね。受け入れない相手に対して「こころを開いてくれないからだ」とさらに錯覚して、とくに教員は「こころをひらかない」のは病理行動だと思いこんでしまう。」

内藤 「嫌だと言って目をそらしている人に対して、「なんでおれの目を見ない」とか言って、顔をそらした相手に対して鼻毛が一本一本見えるほど生々しく顔を近づけて、臭いはらわたをねじこもうとするのね。相手の口をこじ開けてつっこむような仕方で、「せっかくあなたとわたしが『いま、ここ』で出会ったんだから」とか言ってね。それを拒まれると、手前勝手なナルシシズムを傷つけられた腹いせに、「人をものとしか思っていない」とか「ひとと交わることができない」とか決めつけるわけね。「自分を開いてちゃんとつきあえば、もっとすばらしい体験ができたはずなのに、もったいないことをしたね」とか。群れて「共生」とか言ってる人たちには、そういうこのうえなく気持ち悪いところがあるんですよ。こういうことは、普通の市民生活ではやってはいけないことなんだけど、学校という場にいて自分が「教師」だと思っていると、やってもいいような、それどころか本当に良いことをやっているような気になってしまうんですね。混沌の腹に三つ穴をあけるようなもので、やられたほうはたまったもんじゃないんですけど。
 保健室の話に戻ると、集団のきつい密着状態から逃げる場所まで、なんで、学校のなかにつくらなきゃいけないのって思いますね。」

藤井 「なるほどね。」

内藤 「すごい発想だなと思ってね。」

藤井 「それは、確かにおっしゃるとおりなんだけど、なし崩し的に保健室が「逃げ場」になってしまっているのは、「ないよりあったほうがマシ」だと思います。」

内藤 「地獄の五丁目(教室)よりは地獄の四丁目(保健室)のほうがいいという意味では、確かにそうなんです。でも、地獄の四丁目であることもちゃんと意識して、なんで過剰密着から逃げる場所まで学校の中なの、ってことも考える必要がありますね。」


[後半に続く]

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