日本国憲法の基本価値は、「人類普遍」の人権、自由、平等でなければ
拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.103-1106 (初出は『図書新聞』2006年2月18日)
日本国憲法の基本価値は、「人類普遍」の人権、自由、平等でなければならない
1993年1月、山形県新庄市の明倫中学校の体育館で、ひとりの少年がマットに逆さに突っ込まれて殺された。地元新庄市では、殺された少年とその家族に対する悪口とデマが飛びかっていた。人びとが被害者を憎み、妬み、悪口をいう仕方から、等身大に生きられる小さな社会の像を描くことができるだろう。
ほとんどの人は、被害者家族に面識がない。にもかかわらず、被害者の家族は金持ちで、リベラルで、個人主義で、幸福なマイホーム主義で…といった想像的なイメージが、「地元のわれわれ」によって憎々(にくにく)しげに語られる。そして、それと対比させて、「地元のわれわれ」の生き方が語られる。
その「新庄文化論」は、戦後大衆向けに流布され続けた「日本文化論」に、きわめてよく似ていた。
もちろんこういった「地元のきもち」は、事件の後、事後的に祭り=政りつくられたものだ。事件以前には被害者の家族は、ほとんどの人にとって単に面識がなかった。もともと「新庄文化論」は事件以前には流行していなかった。(マス・メディアが「自分たち」を醜悪に描く報道に対する反感をバネにしつつ)被害者家族の悪口を言いながら事件を語ることを通じて、憎々しげな「新庄ナショナリズム」が盛り上がった。
(さらにこの「地元ナショナリズム」をマス・メディアが醜悪に描く…という悪循環のなかで、「自分たち」の語りが流行していったーーこれは、「犬を食べる中国人」という欧米の報道への反感から、「犬を食べて何が悪い!」という「われわれ犬を食べる中国人」のナショナリズムが盛り上がるのと同じ形をしている。多くのナショナリズムとナショナル・アイデンティティはこのような被害感情からつくりあげられる)。
このような愚民の憎悪にもかかわらず、人権を最高価値とする憲法のもとでシステマティックに整備された法が、個人を保護する。「地元のわれわれと交わろうとしない、標準語をしゃべる金持ちの個人主義者」とレッテルを貼られた被害者家族に対する、地元の憎々しげな「きもち」を司法は踏みにじる。
つまり、「ひととひととのあいだ」がそのまま情的に場をつらぬき、それが規範の準拠点となるタイプの秩序化の原理(愚民の関係主義)から、憲法が個の尊厳を守る。
ちなみに「日本文化論」がまき散らす日本の「文化」や「伝統」なるものは、人びとが身近な関係の情態(空気)に屈従して生きる卑屈な様子を、さまざまな趣向で描いたものである。憲法は、1人ひとりの人間を個別の関係の結節を超えたものとしてとらえる。日本国憲法においては、個は諸関係のアンサンブルではなく、それ自体で無条件に尊いとする人間の聖なる物象化=人権こそが重要なのだ。愚民がどれだけ「ひととひととのあいだ」で被害者の位置価のずらし下げ(「日本文化論」的な共同態的関係規定)をおこなおうと、公権力は事件をほりくじ返し、人を殺した者は普遍的な法によって裁かれる。
地元のある僧侶は、地元の関わりあいに即した「こころの成長」のために、事件をほりくり返すべきではないと言った。私はためしに、「ひとりの命が失われたのですよ」と言ってみた。予想どおり彼は、「なぜ人の命だけが、それだけ切りはなして特別扱いされるのだ」と憤慨した。
もし「ひととひととのあいだ」の関わりあいがそのまま「ただしさ」の根拠となったら、どうなるか。関わりあいによって情の強度を強めていって、その強度が「決め」となる祭り=政りによって、「ただしさ」が決定される。そして殺された側が、「ひととひととのあいだ」の「文化」的価値から咎(とが)ありとされかねない。
右派主導の憲法改正の動きの中で注意しなければならないのは、文化条項を入れられることだ。これは九条改正などよりもはるかに恐ろしい効果を有する。このことに気付いている人がどれほどいるのだろうか。憲法を組み立てる礎石(そせき)となる最高価値を、人権、自由、平等といったものから、「日本の文化と伝統」へと入れ替える動きを阻止しなければならない。
私は普段ジャンクフードは食べないし、ジャンク本のたぐいは読まない。軽蔑すらせず、街のティッシュ配りのように視野に入らず通り過ぎていく。今回たまたま、日本で売り上げ一位の新書『国家の品格』(藤原正彦、新潮新書)を読み、あまりのでたらめさに驚いた。藤原が述べるような俗流日本人論は、学問的には『日本人論の方程式』(杉本良夫&ロス・マオア、ちくま学芸文庫)によって息の根を止められているはずである。また、西洋と非西洋に関するステレオタイプについては、『人間の安全保障』(アマルティア・セン、集英社新書)、青少年の問題については『「ニート」って言うな!』(本田由紀・内藤朝雄・後藤和智、光文社新書)、そして武士道については『戦場の精神史』(佐伯真一、NHKブックス)を参照されたい。これらの本を読むと、『国家の品格』で言われていることの一つひとつがまちがいであることが一目瞭然となる。
『国家の品格』は、人権、自由、平等といった「西洋」の価値を価値下げし、「日本らしい」文化を持ちあげるための、内容的にはかなりでたらめな本である。しかし、このでたらめな論理のはこび方が、右派勢力が憲法改正時に文化条項を入れるとしたらこうなるであろうという筋書(すじがき)と、みごとに一致している。
人びとの無知につけこんでさりげなく文化条項を入れることによって、いつのまにか憲法の基幹的価値を、人権、自由、平等から「日本の文化と伝統」に入れ換える「クーデター」に、このベストセラーは利用されるだろう。
憲法改正に文化条項を入れることは、きわめて危険なことだ。私は、憲法改正に文化条項を入れられてしまうことに対する強い危機感がなければ、このようなジャンク本を話題にしようとも思わない。
もう一度いう。憲法の基本価値表明部分に「日本の文化と伝統」を入れる動きを阻止しなければならない。日本国憲法の基本価値は、民族主義ではなく、「人類普遍」の人権、自由、平等、そして人間の尊厳が要請する平和でなければならない。
中井久夫は「戦争の恐ろしさを知る世代が死滅した時に新たな戦争が起こる」(『清陰星雨』、みすず書房)と言っているが、いま民族主義の暴走の恐ろしさを体感する世代が死滅しようとしている。この恐ろしさを体感するために、わざわざ生命の危険をおかして紛争地帯を旅行する必要はない。映画「ホテル・ルワンダ」を見るだけで十分だ。(2006年2月18日)
追記 オバマ大統領広島演説
http://mainichi.jp/movie/video/?id=4916740977001
以下の内容は、日本国憲法そのものである。動画を見ると、日本の首相は、実に苦々しい顔をしている。先生のきれいごとを憎む、中学生のような印象を受けた。
私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません。外交を通じて紛争を防ぎ、始まってしまった紛争を終わらせる努力をする。相互依存が深まっていることを、暴力的な競争ではなく、平和的な協力の名分にする。国家を、破壊する能力ではなく、何を築けるかで定義する。そして何よりまして、私たちは人類の一員としてお互いのつながりを再び想起しなければなりません。このつながりこそが我々を人類たるものにしているからです。
私の国の物語は(独立宣言の)簡単な言葉で始まります。「すべての人類は平等に創造され、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている。それは生命、自由、幸福追求の権利である」。しかしその理想を実現することは、米国内や米国民の間であっても、決して簡単ではありません。しかし、その物語にあくまでも忠実であろうとすることに価値があります。それは努力しなくてはならない理想であり、大陸と海をまたぐ理想です。
全ての人のかけがえのない価値です。全ての人命は貴重であるということです。私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは広島に来るのです。それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。
普通の方々はこうしたことを理解できると思います。彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。
国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。
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