学校のゆくえ

2000年、『新・社会人の基礎知識101新書館、2000年(近刊)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。


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 「学校のゆくえ」

 われわれが「あたりまえ」と思っている学校の姿は、よく考えてみれば奇妙なものである。学校で行われていることをながめてみよう。
 行政が区切った地域から同じ年齢の子どもたちを集め、朝から夕方まで施設に強制収容する。そして全員が同じ服を着ることを強制する。しかも40人をひとまとめにして同じメンバーが終日顔をつきあわせているようにする。この「クラス」なるものに対する全人的コミットあるいは共生のみぶりは、ねじり込むように強制される。さらに個人差を無視した全員一致のペースで、算数などの勉強を集団で行わせる。ありとあらゆる生活のディテールが「集団生活訓練」と呼ばれる思想に従って組織され、「生活指導」にさらされる。運動場では「きをつけ」「まえへならえ」などと叫んでは肢体を全員一斉に動かす動作を強制する。さらに学校での「評価」は、将来の職業上の地位に大きく影響する。「評価」は学科試験の点数だけでなく、「態度」にまでおよぶ。
 さらに「学校」「教育」「子ども」といった聖なるイメージの体系が社会を覆いつくしているところで、学校と呼ばれる上記の収容施設は、その聖なるものを受肉するための特権的な「教会」の役割を担ってきた。そして教職はしばしば「聖職」と呼ばれてきた。
 このように設計された社会空間では、構造的に、旧陸軍の内務班と同型のきわめて残酷な共同体的専制が蔓延しがちである(内藤朝雄,1999,「自由な社会のための生態学的設計主義」『季刊 家計経済研究』第44号、財団法人家計経済研究所)。たとえばつい最近まで、教員が気にくわない生徒に暴力をふるって障害を負わせても、通常は組織ぐるみでうやむやにされてきた。ことがあからさまになっても刑事罰が課されることはめったになく、訓戒処分と転勤ぐらいですんだ。また学校内部の「いじめ」と呼ばれる迫害は、手の打ちようがなかった。自律的な生活世界のコミュニティに、外部のシステムが介入するのは「よくないこと」とされてきたのだ。学校と教育の自立性は、個の人権よりもはるか上位に位置づけられてきた。
 近年「学校」「教育」「子ども」の聖性が疑惑のまなざしを向けられるようになってきた。それは大きな社会の動きと連動している。冷戦構造の崩壊とともに、人々の思考法を根底から縛りつけてきた右翼全体主義と左翼全体主義双方の影響力が弱まり、どんな犠牲をはらってでも学校を聖なるコミューンにしておこうというインセンティヴが急速に薄れた。財界は、集団主義でしめあげることが経済成長を益する時代が終わり、これからはマイナスに作用することに気づいた。文部省はリベラル色を強めた。多くの人々は、学校や会社での共同体的専制に対する嫌悪と憎悪の念をますます強めていった。冷戦構造崩壊から今日に至るほぼ10年で、中間集団に対する個の人権意識は着実に高まり、学校での残酷がするどく問題化されるようになった。旧来の学校コミューン主義は、社会の主要セクターから見放されはじめた。
 それでは学校コミューン主義にとって代わる未来の教育政策をどう描いたらよいのだろうか。以下では筆者による21世紀の教育政策案を提示しよう。
 義務教育と権利教育を分ける。義務教育は強制してでも身につけさせなければならない基本に関して子どもの親に義務を課すタイプの教育であり、権利教育は当人が自己の意志で参加する権利を有する教育である。権利教育は生涯教育と地続きにする。
 1・義務教育の「義務」は、日本語と算数と法律に関する国家試験を受けさせる親の義務、および国家試験に落ち続けた場合には教育チケットを消化させる親の義務に限定する。国家試験の合否は本人以外には知らせず、将来の職業上の地位に影響しない。
 2・権利教育は、学術系(学をつける)、技能習得系(手に職をつける)、豊饒な生の享受系(社交クラブ指向)の3つに分ける。学術系と技能習得系は国家試験中心主義で運営し、学習サポート業務と資格認定業務を分割する。さまざまなスタイルの学習サポート団体が地域に林立し、人々はそれらを自由に選択し使い分ける。国家試験は努力を要しキャリアに直結し、向上心を滋養する。豊饒な生の享受系は、地域に林立するクラブ群によって担われる。クラブ群を自由に遊動-着床する積み重ねにより、子どもたちはオーダー・メイドの自己形成ときずな形成を遂げる。地域に林立する多様な学習サポート団体とクラブは、魅力によって淘汰され進化する。行政は、権利教育にアクセスするライフチャンスを万人に提供する義務を有する。すなわち行政は、街を権利教育の誘惑空間と化する都市計画を行い、収入に逆比例するチケット配布によって機会の平等を達成する責任を有する。この責任を十分に果たしているかどうかが選挙の大きな争点となる。

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