二種類の国家観

 拙著 『いじめと現代社会』 (双風舎、2007年) pp.126-131  (初出は『図書新聞』2006年7月15日号)

二種類の国家観


 国家観には二種類ある。
 ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人々の生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険なメンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線の上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。この私にしても、たいせつなインフラストラクチャーとしての国家をよりよいものにするために、この文章を書いている。
 しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。
 この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。愛国心ではなく、苦労して磨き上げた公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。
 それに対して、国家を一人ひとりの人間の生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とする国家観がある。このようなリアリティを生きる人々にとって、国家装置の防御メンテナンスのための危険業務(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻こ玉を抜かれたような屈辱である。そして日本は、自由だの人権だの民主主義だんぼ甘ったるい白粉をぺたぺた塗られて、女にされてしまったと彼らは感じる。
 第一の国家観は、人びとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとするリアリズム政治のための、基本中の基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。
 第二の国家間は、非常時に短期間「だけ」、人々を狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。そして二十一世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
 この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか。江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。当時の指導者たちは、ゆっくりと変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させる仕掛けを、当時入手可能な素材からでっちあげた。
 それがアッパー系の天皇である(筆者注…意識変容ドラッグにはアッパー系とダウナー系がある)。もともと京都で平和に生きていた穏やかな文化財天皇は、おきのどくなことに、社会の武張(ぶば)ったアッパー系ドラッグに改造されてしまった(そもそも天皇に勲章まぶしの軍服を着せて髭づらの大元帥にするなど、貴重な文化財に対する一種の虐待ではないだろうか)。
 そして、このドラッグは効いた。国家の集合的生命感覚は、アッパー系天皇を玉冠とする国體(こくたい)として、人びとの魂の底に埋め込まれていった。
 生存のための必要に駆られて狂気のドラッグを使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計を管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめり込んではいけない。しかし、指導層のあいだでも「○○は国體にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延した。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢が緊急大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。ドラッグにおかされた指導層はアメリカと戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては、国民の生命や安全といった本来の目的よりも国體護持などという幻想の薬物を大切にするていたらくであった。国家の指導層として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。
 ところでアッパー系の天皇のからくりは、どういうものだったのか。それは狭隘(きょうあい)な人間関係のずぶずぶの情動の反射がそのまま社会の秩序でもあり、それ以外の秩序感覚を知らぬプリミティヴな愚民が愚民のまま、機能分化した社会に必要不可欠な普遍性や超越性に接続しうる「半」普遍・「半」超越の仕掛けである。つまり、母や父や妻や同朋や近隣の人びととつきあう心情の論理が、みなで心に描く天皇のイメージをフックとして、そのまま普遍的・超越的な広領域の論理にあいまいに重ね合わされる仕掛けである。たとえば、カミカゼ特攻隊で自爆しする兵士は、ほんとうは国家のためではなく、母や妹や愛する者のためと実感しながら、それがなぜか国家のための自爆攻撃でもある、という「半」のあいまい感覚につつみこまれて死んでいく。それは武張った男根の先端でありながら、同時に乳房への憧憬につられて散華(さんげ)してしまう「半」にからめとられた死である。アッパー系ドラッグとしての天皇が、プリミティヴな感覚を国家につなげて集合的生命感覚を蔓延させる仕掛けは、この「半」の曖昧な重ね合わせにあった。
 これは人間のプリミティヴな領域をたいせつにするというよりも、プリミティヴな領域を、本来普遍的・超越的なものが機能すべき領域で、その機能的等価物として徹底的に搾取・開発・利用しつくすからくりでもある。ちなみに、文学でえんえんと問題にされてきた「家」や「世間」の息苦しさは、このメカニズムの副産物でもある。プリミティヴなものが過度に公的・普遍的・超越的にもちいられ、公的・普遍的・超越的なものが過度にプリミティヴに作動する社会の根本原理が「天皇制」と呼ばれたのも、あながち的はずれでもない。このような社会が、人びとの日常生活において非常に網の目の細かい精神的売春を強いるのは、原理的必然である。
 アッパー系の天皇を残すことを国體の護持として執着した者たちは、このような「半」超越・「半」普遍の社会をもって日本となしたのであろう。
 このような「半」のメカニズムは、普遍的・超越的なものが、そのまま特定人物の〈顔〉と重なって生きられる新興宗教団体では、ありふれた現象である。団体が政治的な影響力をもつようになった場合、普遍的・超越的なものの論理の連鎖に、限りなく敬愛すべき固有の〈顔〉がモザイク状に差しはさまれ、政治的に奇妙な振る舞いがなされる。というよりも新興宗教の多くは、「半」超越・「半」普遍のメカニズムにより、急速な拡大をする。
 さて、現在(筆者注…執筆時2006年)大きな勢力となっている右派は、教育基本法(筆者注…2016年現在すでに改正されている)や憲法を改正して、日本を「より日本らしい」姿に戻そうとしている。また、戦前のアジア諸国への侵略を否認する言動を繰りかえしている。前者についてはすでに論じた。後者については、現在の国際関係上、国益を損なうどころか、現在日本を大きな危機に陥れている。
 北朝鮮が(かつての日本のように)暴発するとしたら、反日感情が高まる中国や韓国にかばってもらえる可能性を過大に誤認して、その対象を日本にする可能性が考えられる。そうなった場合、いったいどれほどの人が死ぬことか。一部の右派たちは日本一国で北朝鮮に対して経済制裁をおこなうなどという愚策を提示しているが、経済制裁は中国や韓国などのアジア諸国と共に包囲網を築いたうえでなければ、効果を発揮できない。核攻撃の可能性がある北朝鮮に対しては、アジア諸国との友好関係を前提として、実効的な経済制裁(の可能性)によるコントロールをおこなえる条件を整える必要がある。
 しかしながら、右派の「歴史認識」のせいでアジアに反日感情が蔓延し、それができない。国際関係のなかで北朝鮮の立場を有利にしているのは、「ありがたいことに」日本の右派である。また日本の右派は、反日運動によって民衆の不満をそらせて中国共産党独裁を延命させるのにも役立っている。こういった日本の右派がもたらす危険性は、国連を含め、世界のあらゆる方面から危惧され指摘されていることである(もちろん日本の左派が北朝鮮に協力し援助し続けた経緯も、すべてあからさまにし、厳しく責任を追及する必要がある)。
 アッパー系の天皇を基幹とする国體像を戴く右派勢力を政界・財界・官界・メディア界の主導的な位置から退かせる必要がある。さらにいえば前述のように、右派と左派という半族の構図を根本的に消滅さるべきである。
 さて、アッパー系天皇カニズムの暴走が起きるたびに抑止行動をとり続け、それを新しい時代に適したダウナー系の天皇にデザイン変更しようとしてきた人がいる。また、彼の動きから、首尾一貫した原理原則を抽出し、天皇の象徴責任という概念を提出することができる。
 次項では、まず明仁天皇(現在の日本国天皇)が右派勢力に抵抗して「政治的発言」をおこなう動き方から、首尾一貫した原理原則を抽出し、そこから天皇の象徴責任という概念を提出する。彼はみごとに象徴責任を果たしている。次に隆起一貫型超越性と瀰漫浸潤型超越性について論じたあたおで、アッパー系天皇&国體システムに対する、ダウナー系天皇日本国憲法システムの可能性を提示する。
 ダウナー系の天皇は、後述のように「半」超越・「半」普遍レセプターを閉じる「無用の用をなす蓋」となり、その「蓋」から普遍的ヒューマニズムという超越点への端的な指し示しをおこなう。これは明仁天皇が、日本国憲法を守るために、これまでずっとおこなってきたことでもある。

 私は彼を支持する。

                                                   (2006年7月15日)