新刊『いじめの構造』の一部を公開します!

いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を刊行しました。



本書では、モデル現象としての学校のいじめに焦点を当て、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを明らかにし、そこから生じる苦しみを減らすための具体的な政策を提言した。このような内容をレベルを落とさず、しかも誰でも読めるような平易な言葉で書き示すのは、理想ではあるが、大変な注文である。思えば講談社現代新書から依頼を受けたのが二〇〇五年一月。それから担当者が何人も入れ替わり、焦燥感だけがつもった。書けないのである。泥沼の消耗戦ともいうべき月日が流れた。
そして、二〇〇九年二月、この課題をクリアーした。


どうか手にとってご一読ください。

はじめに(3〜5ページ)
逃げることができない出口なしの世界は、恐怖である。そこでは、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。
そして、自分が悪意のターゲットにされたときの絶望。
いじめは、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。本書では、人間が人間にとっての怪物になる心理―社会的メカニズムである、普遍的な現象としてのいじめに取り組む。
本書は、学校のいじめについて、分析をおこない、「なぜいじめが起こるのか」について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書である。
以下に各章の内容を説明する。
第1章「『自分たちなり』の小社会」では、学校という狭い空間に閉じこめられて生きる生徒たちの、独特の心理-社会的な秩序(群生秩序)を、いじめの事例から浮き彫りにする。
第2章「いじめの秩序のメカニズム」、第3章「『癒し』としてのいじめ」では、他者を思いどおりにせずにはおれない「全能」や、他者に侵入して自己を生きる「投影同一化」が織り込まれた、閉鎖的な小社会の秩序のメカニズムを明らかにする。 
第4章「利害と全能の政治空間」では、第2章・第3章で論じた「おぞましい歪んだ情念」の秩序が、「利害」の秩序とむすびついて、現実の「生きがたい」政治空間を生み出すメカニズムを明らかにする。
第5章「学校制度が及ぼす効果」では、生徒たちを閉鎖空間にとじこめて強制的にべたべたさせる学校制度の効果として、右記の心理-社会的な秩序が蔓延し、エスカレートするメカニズムを論じる。そして、それをどのようにブロックできるかを考える。
第6章「あらたな教育制度」では、前章までで問題にしてきた「生きがたい」心理-社会的な秩序をなくしていくための政策提言を行う。
第7章「中間集団全体主義」では、これまでの議論をふまえて、「中間集団全体主義」というあらたな全体主義の問題を指摘し、論じる。
筆者が研究してきた成果を語ることで、いじめの問題に関心をもつすべての人に、少しでも役立つことができれば幸いである。
(『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』3〜5ページ)

おわりに(264〜265ページ)
本書を通読した後に、もう一度「はじめに」に目を通していただきたい。書かれている部分、すなわち「モデル現象」としての学校のいじめに重ね合わせながら、まだ書かれていない二つめの仕事、すなわち大人のいじめ(あるいは構造的な加虐迫害)の問題が立ち上がってくる。
本書で提出する理論は、さまざまな現象に適用することができる。それは、学校のいじめに限定されるものではない。それは、家族、職場、軍隊、部族、収容所、ギャング、宗教団体、民族紛争地域、地域コミュニティなどあらゆる場所で生じる、人間が人間にとって怪物になる現象を説明するものである。またそれは、人類の歴史上のあらゆる時代、あらゆる地域にあてはまる普遍的な現象である。
読者のなかには、学校で嫌な思いをした方もおられるだろう。それは、目撃体験を含めれば、ほとんどの人の経験かもしれない。この、わたしたちの共通の痛みの経験を出発点にして、もっとおそろしい大人の普遍的な現象を理解し、それにストップをかけるための方策を練ることが、本書の二つ目の目標である。
人類は、いつの時代にも残酷なことを繰り返してきた。それは、いつの時代にも人が癌になってきたのと同じことである。しかし、わたしたちは、初期の癌を発見し治療する理論と方法をつくりだした。それと同様、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを発見し、それを抑止する方法をつくりだすこともできるはずだ。筆者はそのための第一歩として、本書を書いた。
21世紀の人類社会が、人間にやさしい社会であるように!
2009年2月  内藤朝雄
(『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』264〜265ページ)


本書第二章第一節では、動画を入れたかったが、紙媒体のため不可能であった。中途半端な挿絵を入れるよりは、文章だけで説明することにした。
ここで、その部分(本書54〜60ページ)を抜粋した後で、「YOU TUBE」の動画を紹介する。本書を読みながら、この動画を見ていただくと、イメージが豊かにふくらむことと思う。

第2章 いじめの秩序のメカニズム
1・「わたし」に侵入して、内側から変えてしまうもの

第1章では、狭い空間で生きる生徒たちが生み出す小社会の秩序を、いじめの事例から浮き彫りにした。ここでは、この秩序においてはたらく心理-社会的なメカニズムをくわしく説明しよう。
寄生する生物たち
イメージをわかりやすくするために、寄生虫の例をあげることからはじめよう。
寄生虫がいつのまにか自分の中に侵入し、わたしの内側からわたしを操作して、わたしにおぞましい生き方をさせてしまうとしたら、これほど不気味なことはない。
イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスは、『延長された表現型』(紀伊國屋書店)で、このような世界を描いている。彼によれば、「中間寄生を含んだ生活環をもっている寄生虫は、その中間寄主からあるきまった最終寄主へ移動しなければならないが、しばしば中間寄主の行動を操作して、その最終寄主にその中間寄主が食べられるようにうまく仕向けている」。
ドーキンスは、いくつかの不気味な例を挙げている。

■  リューコクロディウム属の吸虫は、カタツムリに寄生した次に、鳥に寄生する。この吸虫がカタツムリの角(つの)に侵入すると、暗いところを好むカタツムリが、光を求め、日中に活動するようになる。そのためにカタツムリは鳥に発見されやすくなる。鳥はカタツムリの角を食いちぎって食べる。こうして吸虫は、鳥の体内にはいる。カタツムリは吸虫によって、光を求めるように内側から操作されたと考えられる。
■  ミツバチに寄生したハリガネムシの幼虫は、成虫として水中で生活するためには、ミツバチの表皮を突き破って外に出て、水中に入る必要がある。ハリガネムシに寄生されたミツバチは、しばしば水に飛び込むことが報告されている。一匹の感染したミツバチが水たまりの方へ飛んで行き、水中へダイヴィングした。その直後の衝撃で、ハリガネムシはミツバチのからだを破って飛び出し、泳いでいった。重傷を負ったミツバチはそのまま死んでしまった。
■  鈎頭虫(こうとうちゅう)類ポリモルフス・パラドクススは、淡水のヨコエビを中間寄主とし、最終寄主は、水面の餌を食べるマガモや、マスクラット(齧(げっ)歯類の哺乳動物)である。寄生されていないヨコエビは光を避け、水底近くにとどまる習性がある。ところが、ポリモルフス・パラドクススに寄生されたヨコエビは、光に接近するようになり、水面近くにとどまり、水草に執拗にまとわりつくようになる。その結果、ヨコエビマガモやマスクラットに食べられやすくなる。


あわれなカタツムリやミツバチやヨコエビは、寄生虫の遺伝子の「延長された表現型」、あるいは「乗り物」として生きさせられる。さて、これらのおぞましい例は、他の生物が寄主に寄生する話である。だが、社会が寄生虫であるとしたら!
つまり、わたしたちが集まってできた社会が、いつのまにかわたしに侵入し、内側からわたしを操作して、おぞましいやりかたで生きさせてしまうとしたら、それは吸虫やハリガネムシやポリモルフス・パラドクスス以上に不気味である。
実際、学校に軟禁されて生徒にされてしまった人たちが織りなす小社会の秩序は、しばしば、これらの寄生虫と同じ作用をおよぼす。


「何かそれ、うつっちゃうんです」
次に、いじめをしている女子中学生の例を見てみよう。

【事例6・何かそれ、うつっちゃうんです】
「ひとりやったらできへんし、友だちがいっぱいおったりしたら、全然こわいもんないから。何かこころもち気が強くなるって言うか、人数が多いってことは、安心する、みたいなんで。一回いじめたら、止められないっていうか。なんか暴走してしまうっていうかな」。
「友だちに『あのひと嫌い』って言われると、何かそれ、うつっちゃうんですよ」。
(NHKスペシャル「いじめ」いじめの加害者である生徒のインタビューより、1995年10月1日放映)


この女子中学生は、「友だち」と群れていると、カタツムリが日中に徘徊(はいかい)し、ミツバチが水に飛び込み、ヨコエビが水面で水草にまとわりつくように暴走して、いじめが止まらなくなる。友だちに「あのひと嫌い」と言われると、「何かそれ」がうつってしまう。生徒たちは、自分たちが群れて付和雷同することから生じた、心理-社会的な秩序の「乗り物」になって生きる。
このように個をとびこえて、内側から行動様式が変化させられてしてしまうことを、図2(図2については、書籍58ページを見てください)のように現すことができる。カタツムリの場合、吸虫の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化したのである。
それと同様に、女子中学生の場合、「友だち」の群れの場の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化した。「何かそれ、うつっちゃうんですよ」という発言は、群れに「寄生され」て内的モードが変化させられる曖昧(あいまい)な感覚をあらわしている。
学校の集団生活によって生徒にされた人たちは、(1)自分たちが群れて付和雷同することによってできあがる、集合的な場の情報(場の空気!)によって、内的モードが別のタイプに切りかわる。と同時に、(2)その内的モードが切り替わった人々のコミュニケーションの連鎖が、次の時点の集合的な場のかたちを導く。(3)こうして成立した場の情報が、さらに次の時点の生徒たちの内的モードを変換する。この繰り返しから、前ページ図3(図3については、書籍59ページを見てください)のような、心理と社会が形成を誘導し合うループが生じる(図3は単純化して描かれているが、実際は螺旋(らせん)状のループである)。これは、個を内部から変形しつつ、個の内側ら個を超えて、社会の中で自己組織化していく作動系(システム)である。
以下の各節では、学校で生徒にされた人たちの生に即して、いかなる内的モード(心理)が、どのように、どのような領域で連鎖するのかを、よりくわしく考えていこう。
2・不全感と全能感の「燃料サイクル」
「みんなむかついていた」

(後略)


動画

■リューコクロリディウム族の吸虫
http://www.youtube.com/watch?v=EWB_COSUXMw

ハリガネムシ(この場合、犠牲者はミツバチではなくコオロギ)
http://www.youtube.com/watch?v=Df_iGe_JSzI