八王子の通り魔事件について

八王子で模倣犯と思われる通り魔が人を殺した。2008年6月9日のメッセージ(http://d.hatena.ne.jp/izime/20080609)で予言した通りの事態が進行している。このままでは、あと数人は殺されてしまう。

朝日新聞2008年7月24日より、菅野昭一容疑者(33)の発言「大きな事件でも起こせば自分の名前がマスコミに出るだろうと思ってやった」

菅野容疑者が、秋葉原の事件報道に、どのように自分を重ねたてファンタジーにふけったかの供述が出次第、殺された女性の遺族は、メディア各社を訴えて当然だと思う。また、メディア批判がわき起こるだろう。

歪んだ人間が犯人に自分の「こころ」を重ねてファンタジーをふくらませやすいタイプの報道を避けるための、メディア業界のルールをつくるべきだ。自殺の連鎖を起こさないための自殺報道のルールのように、考え抜かれた犯罪報道のルールをつくる必要がある。

秋葉原の報道が、あんなふうではなかったら、被害者斉木愛さんは、今、生きているはずである。

もう一度くりかえす。酒鬼薔薇の後の、佐賀バスジャックのような模倣犯のパタンが続いた場合、マス・メディアは、人殺しの片棒をかついでいる、と非難されてもしかたがない。

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他者の像と自己の像が重なった「想像界」だけで生きていたら、妬みと殺意で収集がつかなくなる。そこに、「こころ」と「こころ」を重ねる世界とは別次元の、ルールの世界が、他の動物に比べて「自己」が寸断されやすい人間の、救いとして現れる。このルールの世界が、「こころ」過剰なマス・メディアの報道で、破壊されようとしている。「こころ」の論点で、犯罪者の物語をばらまいてはいけない。

ルールの世界としては、極刑としての、絶対に刑務所から出ることができない終身刑が必要だ。人を一人殺せば、死ぬまで刑務所にいる。

原理的には死刑に処すべきだが、技術論的に、みなし死刑としての終身刑が必要だ。今の無期懲役では、バランスを欠いている。

「こころの闇」の理解ではなく、正当なルールで処理されることで、社会のリアリティが治まることが、何よりも大切だ。

さしあたって、マス・メディアは、「心の闇」ではなく、正当なルールとしての終身刑に焦点を移すべきだ。また、自殺報道のルールと同様の配慮で、犯罪報道のルールをつくる必要性を、報道すべきだ。メディア各社には、報道についてのメタ報道も、ビジネスとして成り立つ、と言っておこう。


#本人依頼により、一部削除しました。