原子力村の根本栄養素は人事

「『原子力ムラ』と仲間うちの論理」(『図書新聞』第3029号)を出しました。



ぜひ読んで下さい。



日本人が殺されるか、エリートたちをその地位から放逐するか、この国の運命は二者択一――「原子力ムラ」の生命を維持する根本栄養素は人事である

といった抜粋見出しをつけてくださった編集長はさすが慧眼です。


原子力ムラ」の生命を維持する根本栄養素は人事である。
このことを重要ポイントとして記憶してほしい。


今回の山下俊一教授の福島県立大学副学長就任や朝日新聞社枠からの受賞(朝日がん大賞)が、典型的にそのことを示しています。



(ひと)山下俊一さん 朝日がん大賞を受ける


 旧ソ連チェルノブイリ原発事故後の医療協力で現地に行ったのは100回を超える。20万人の子どもの検診事業に力を尽くし、放射性ヨウ素の影響で甲状腺がんが増えていることを明らかにした。
 福島第一原発事故では、3月18日から福島県に入った。県から放射線健康リスク管理アドバイザーに任命され、30回以上の講演で住民に放射線の健康影響を語った。
 「チェルノブイリで培った20年間の経験を福島で生かすべきだと思いました」
 健康への影響を「大丈夫」と言い過ぎたという批判も受けた。「大丈夫と言ってきた責任がある」と、被曝(ひばく)に向き合い続ける。7月には長崎大教授を休職して福島県立医科大の副学長に就任した。住まいも福島に移した。
 原発事故が実際、住民の健康にどんな影響を及ぼすのか。全県民を対象にした健康管理調査に取り組む。住民の放射線への不安にこたえ、がん予防など個人の健康づくりにもつなげたいと考える。
 長崎生まれの被爆2世で、先祖からのクリスチャン。子どものころから尊敬してきた人物は、原爆被爆者の医療に身を捧げ、「長崎の鐘」の著作で知られる永井隆博士だ。博士の心を胸に刻んで医学の道に進んだ。
 「福島の復興には、安心して住めることが欠かせない。そのために力を尽くしたい」
 (文・浅井文和 写真・遠藤真梨)
    *
 やましたしゅんいち(59歳)

朝日新聞』2011年09月01日 朝刊

そこで必要なことは、どのような仲間うちの論理で、どの医学界有力者が山下教授の人事を進めようとしたのか、朝日新聞のどの幹部や有力者が山下教授を受賞させるように動いたのか、といったことを実名を指摘しながら明らかにし、この者たちを責任ある立場から退かせることを求める世論を高めることです。


必要なのは個人の実名です。いったい、誰がこんなことをしたのか。

朝日新聞社に、この件に関わった者を辞任させ、関係を絶つようにするか、国民規模の大不買運動かの二者択一を迫る必要があります。ここまでやったら、もう朝日新聞社の社会的生命は終わりだ、ということを知らせなければなりません。

政財官学報の原子力関連のエリート仲間たちは、どこに部署が移動しても、どこの名誉職についても、実名○○で「○○さん、○○年○月にあなたが関わった決定によって、こういうことになった」「責任をとりなさい」という追求を受け、場合によっては刑事罰を受けるようにする必要がある。エリートたちの誰が何をやったのかを実名で明らかにし、組織の人事に介入することは、これから死ななくてもよかったはずなのに殺されることになる人々の命を守るために、どうしてもしなければならないことです。


朝日新聞社のなかの役職や派閥などを調べ、実名でリストを挙げ、この受賞に関わった仲間グループを社から放逐させるように、働きかける必要があります。
「朝日がん大賞」に対する調査が必要になります。ジャーナリストの方々は理事や委員などを調べ上げて下さい。


今回のことでは、「朝日がん大賞」を撤回するまでは、朝日新聞社に対して強力な制裁を加える必要があります。世界のマスメディアが朝日新聞社を非難するようにロビー活動をする必要もあります。授賞式の会場には、水俣病のときの「怨」の旗を持った人々がおしかけて抗議して当然です。わたしたちは、いわば「確率的に水俣病患者」になってしまったからです。政府の一億総被曝・確率的子ども大量死政策によって、すべての日本国民が、水俣病の患者の苦しみを、わが身に起こるかもしれないこととして、身近に受け止めなければならない時がきました。わたしたちは、原子力ムラエリートたちの実名を調べ上げ、その具体的な顔をもった人物たちに面と向かって、確率的な「怨」を示す境遇になったのです。水俣病を思い出しながら動くときです。




わたしたちは、幼い子どもたちを中心に、原子力ムラのエリートたちによる安全デマや、甘すぎる基準値や、汚染された肥料や瓦礫の全国ばらまきによって、被曝させられ、確率的に殺戮されようとしています。人の命を守るために、人事というポイントを突く必要があります。

今こころある人たちが力をふりしぼって、人の命を守ろうとしています。
わたしは、人を殺す側の「栄養システム」とここを突かれたら困るポイントを、的確に狙って突く戦略をとってほしいと思います。それはがんと闘う治療戦略とにています。どちらも人の命を救うための戦いです。




わたしは今回の寄稿
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_article.php
を、命を守る側の人たちにちらし(ビラ)などにして活用していただきたいとおもって執筆しました。

原子力ムラ」の生命を維持する根本栄養素は人事である
というポイントを含めて、いくつかの重要ポイントを描きました。

読んで下さい。











このブログの方は、いろいろな資料を紹介しておられる。参考にしよう。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/40706954ebebb2c94e03424fbfede1f6
ひとつひとつ調べる必要がある。











★【福島中央テレビ】 通常ならとるにたらないとみなされる瑕疵をあげつらうときの極度の不自然さや、通常ならありえないような極度のモニターや動きの早さが、動機や背後関係の疑惑に対する状況証拠となりうるのではないか。その疑惑は調べ上げる必要がある。ドイツの報道をネットから消した福島中央テレビの意志決定に関与した幹部は誰なのか。どのようなところから、どのような要請があったのか。戦後ドイツでナチを調べ上げたように、調べ上げる必要があります。このようなことをしたら、社会がゆるさない、という現実をきちんとつくる必要があります。



次から次へといろいろなことがおこるなかで、忘れられるという、時の利を福島中央テレビに与えてはいけません。なぜこういうことをしたのかは、追求され続けなければならない。

だれがやったのか、追求は必ずされるという現実は変わらないという思いを、原子力関係のエリートたちに抱かせることは必要不可欠です。









★追記(2011年9月4日)世界の見解【インディペンデント誌】

「なぜ福島の事故は、チェルノブイリよりひどいのか」
イギリス『インディペンデント』誌(世界的には朝日新聞などよりはるかに格が上と見なされている、権威のある新聞)


Why the Fukushima disaster is worse than Chernobyl

Japan has been slow to admit the scale of the meltdown. But now the truth is coming out. David McNeill reports from Soma City

Monday, 29 August 2011

「マスコミに載らない海外記事」というサイトに
翻訳があったので紹介する。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a683.html



なぜ福島の事故は、チェルノブイリよりひどいのか




日本は、メルトダウンの規模を、なかなか認めようとしてこなかった。しかし、今、真実が明るみに出つつある。David McNeillが、相馬市から報告する。


The Independent

月曜日、2011年8月29日


写真のキャプション:科学者の中には、福島は、原子力発電所災害評価で、同じ最高レベル7である、1986年のチェルノブイリ事故よりひどいという人々もいる。AP


市田良夫さんは、53年の生涯で最悪の日をこう思い出す。3月11日、海が自宅を呑み込み、友人も亡くなった。大地震が起きた際、福島の漁師が風呂に入っていて、15メートルの津波が襲う40分前に、かろうじて自分の船で沖合に出られた。港に戻ると、近隣から何から、ほとんど消えていた。"あんなことを思い出せる人などいません"と彼は言う。


現在は、破壊された沿岸の都市、相馬の避難所に暮らしている、市田さんは、災害で亡くなった100人の地元漁師を悼んだが、仲間たちと生活再建に取り組んでいる。毎朝、相馬港にある破壊された漁業協同組合ビルにでかけて、仕事の準備をしている。そして、皆で放射能に汚染された海をじっと眺め、待っている。"いつかは、また漁にでられるようになります。我々は皆、それを信じたいです。"


この国は、自然や、人為的な大災害から何度も回復してきた。しかし、相馬沿岸から40km南の福島原子力発電所における、三つのメルトダウンと、その影響が、日本を、未知で不可知の環境へと追い込んだ。北東部中の何百万人もの人々は、事故後の環境で暮らしており、存在していない、安全な放射能レベルについての合意を探し求めている。専門家達は、危険性については、まごつくほど様々な評価をしている。


科学者の中には、福島は、原子力災害評価で、同じ最高レベル7である、1986年のチェルノブイリ事故よりひどいという人々もいる。そうした人々の中でも、最も著名な一人、オーストラリア人医師で、長年の反核運動家、ヘレン・カルディコット博士は、福島に"訪れるはずの恐怖"を警告している。


人騒がせな見解で有名なアルスター大学のクリス・バズビー教授は、先月の日本訪問時に、災害は100万人以上の死亡を招くと語って、論議を呼んだ。"福島は、放射性核種を、いまだに日本中に、茹で出しています"と彼は言う。"チェルノブイリは一回だけの爆発でした。ですから、福島の方がもっとひどいのです。"


核という壁の反対側には、危機は制御されており、放射能レベルは、ほぼ安全だと主張する業界に好意的な科学者達がいる。"政府と東京電力は最善を尽くしていると思います"と東京大学大学院工学系研究科の関村直人教授は語る。関村教授は当初、原発周辺の住民達に、放射能災害は、"ありそうもない"ので、"落ち着いて"とどまるべきだと助言しており、その判断を後に覆さざるを得なくなった人物だ。


かなり立ち遅れていることが多いのだが、政府は、ゆっくりと、着実に、災害評価を、重くしてきた。先週金曜、原子力安全・保安院に所属する科学者が、原発は、核時代の到来を告げた出来事である、1945年広島原子爆弾爆撃の約168倍に等しい、15,000テラ・ベクレルの、発癌性セシウムを放出したと述べた。(バズビー教授は、放出量は、広島より、少なくとも72,000倍多いと言う)。


矛盾していることが多い情報が殺到する中、多くの日本人は、本能的に、手さぐりで、自分たちになじみの指標を探そうとしている。市田さんも仲間たちも、福島原発は安全だと保証した原子力産業や役人たちはもはや信じないという。だが、彼らは、放射能検査では、政府を信じており、まもなく海で仕事が再開できるものと信じている。


お上の嘘や、動きの遅さ、隠蔽という、おきまりのパターンが分かっている懐疑派の人々は、これは誤りだという。先週、当局は、批判する人々によって、長らく議論されてきた事実をとうとう認めた。損傷した原発の近くに自宅がある何千人もの人々は、一世代、あるいはそれ以上の間、帰れない可能性があるのだ。"住民の方々が、長期間、自宅に帰られるのが困難な地域があるという可能性は否定できない" 政府広報担当者である、枝野幸男官房長官は言った。"大変申し訳ない。"


先週金曜、原発に一番近い双葉町大熊町の元住民数百人が自宅に戻ることを認められた。おそらくこれが最後だろう。所持品を持ち帰るために。マスクを着け、放射能汚染防止スーツを着て、原発周辺20kmの汚染地域の中を車で通ったが、何百頭の家畜が、野ざらしのまま、死んで、腐敗しており、台所と居間の一部は、自然によって埋め立てられていた。"あそこに住んでいたなんて信じられません"と元住民の一人はNHKに語った。


原発の北西にある他のいくつかの地域は、避難命令を受けた後、放射能によるゴースト・タウンになった。事故後の、数週間に、危険な量の放射能を取り込んでしまったと考えている多くの住人は、遅すぎたと言う。"帰れるかどうか、全くわかりません" 原発から約40kmの絵のように美しい飯舘村の近くで、米とキャベツを栽培し、家畜を飼っていた庄司勝三さんは言う。


立ち入り禁止区域外ではあるが、山がちな村の地勢のため、放射能は風や雨で運ばれ、いつまでも残り、作物、水、学校の校庭を汚染するのだ。


若く豊かな母親や妊婦たちは東京や他の場所へと去った。政府が、安全な放射能限界を超えたことを認めた後に、残る6000人の大半も避難した。


75歳の庄司さんは、ショックが怒りに変わり、更に失望した。政府に、野菜を潰し、六頭の牛を殺し、73歳の妻フミさんと、およそ20km離れた郡山のアパートに引っ越すように言われたのだ。"5年、あるいは10年だかと言われたが、余りに楽観的に過ぎるという連中もいます"彼は泣きながら言った。"帰って、家で死ねるかもしれません。" 政府からの350,000円に加え、東京電力から第一次補償の100万円(7,900ポンド)を受け取った。


しかし、避難地域外の人々の運命が、非常に激しい論争を引き起こしている。原発から63km離れた福島市の親たちは団結して、約100,000人の子どもたちを守るために、政府はもっと対策をして欲しいと要求している。学校では、サッカーや他の屋外スポーツは禁じられている。窓は閉じられたままだ。"私たちは、自力でやりくりするよう放り出されたのです"福島市に暮らす祖母の佐藤真知子さんは言う。"本当に腹がたちます。"


多くの親は、何百キロも離れた親戚や知人と暮らすように既に送り出している。政府が200万人の福島県民全員を避難させて欲しいと願う人々もいる。"彼らは避難できる権利を要求しているのです"と、親たちに協力している、反原発活動家のアイリーン・美緒子・スミスさんは言う。"言い換えれば、避難した場合は、政府に支援して欲しいのです。"


これまでのところ、少なくとも当局は、それは不要だと言っている。公式説明は、原発事故は静まりつつあり、立ち入り禁止区域と、指定されたホット・スポット以外の放射能レベル"は安全だというのだ。


だが、多くの専門家は危機は始まったばかりだと警告する。十年以上、チェルノブイリ周辺での放射能の遺伝学的影響を研究している生物学者のティム・ムーソウ教授は、福島の多くの人々は"砂に頭を埋めている(現実を見ようとしていない)のでは"と懸念を語っている。チェルノブイリを研究した結果、放射線を浴びている地域の内部では、生物学的多様性と、昆虫や蜘蛛の数が減少しており、脳の寸法が、より小さくなったことを含め、鳥の数は遺伝子異常の証拠だ。


"真実は、長期的な影響について正確な情報を提供できるほどの十分なデータはないということです"と彼は言う。"それでも、長期にわたる被曝による、非常に重大で、長期的な、健康への影響の可能性は非常に高いということは言えるでしょう。"


相馬の市田さんは、放射能にまつわる、あらゆる話が分かりにくいと言う。"我々はただ仕事に戻りたいだけです。死に方は色々ありますが、何もすることがないというのも、その一つです。"

経済的損害
福島: 日本は、地震津波と、原発事故の後の再建には、23.4兆円はかかると推計している。
チェルノブイリ: 経済的損害の推計は多数あるが、総額約17.9兆円とみなされている。

安全性
福島: 作業員は、損傷した原発の中で、被曝量250mSv (ミリシーベルト)まで、作業することが認められている。
チェルノブイリ: 350mSvを被曝した人は配転された。大半の国では、作業員の最大許容年間被曝量は20mSv。原発近くで暮している人々に対して許容されるのは、年間1mS。

死者数
福島: 原発内で作業員が二名死亡。100万人が癌で亡くなるだろうと予測する科学者もいる。
チェルノブイリ: 国家安全保障上の理由から、事故の日に、一体何人亡くなったのかをあげるのは困難だが、グリーンピースは、事故から25年の間に、放射能に起因する癌で、200,000人が亡くなったと推定している。

立ち入り禁止地区
福島: 政府は、当初、原発周囲半径20kmを、立ち入り禁止地区とした。
チェルノブイリ: 当初のチェルノブイリの立ち入り禁止地区半径は30km – 25年後の今も、ほとんどそのままだ。

補償
福島: 主として同社が支払うべき、一人あたり約1,247,000円という金額が理由で、東京電力の株価は、事故後、暴落した
チェルノブイリ: さほどではない。アルメニア人被害者は、1986年に、一人あたり約748円を提示されたと報じられている

支援
福島: 国連人道問題調整事務所は二国間援助は73億1500万円にのぼると報じている。
チェルノブイリ: 事故から12年後、当時のウクライナ大統領レオニード・クチマは、ウクライナは、依然として国際援助を待っていると、こぼした。


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a683.html(2011年9月4日取得)











★以前『図書新聞』に書いた書評


よい絵本です。お勧めします。


「人が深いところから壊れていく有害環境から脱するために」
タシエス『名前をうばわれた なかまたち』(横湯園子訳、さ・え・ら書房
                                              内藤朝雄

名前をうばわれたなかまたち

名前をうばわれたなかまたち

                『図書新聞』第3024号(2011年7月30日)







 人が深いところから壊れていく言いようのない動きについて、多くの人たちが取り組んできた。学者が「それ」を論じ尽くそうとするとき、言葉はかぎりなく難解になる。だが、作家や芸術家はこれを端的に示す。卓越した作品を目にするとき、読者は毛穴から青斑核に一本の線を通されたかのように記憶が動きだすのを感じる。この意味で、タシエスの絵本、『名前をうばわれた なかまたち』は、学校のいじめをみごとに描いている。
 距離をおいた目から見れば、「ボク」は、学校でちょっとしたいじめを受けているだけかもしれない。しかし、過度に群れとして生きることを強いる閉鎖的な空間、つまり学校のなかで日常的にいじめられ続けることは、固有の自己と世界の剥奪を意味する。この「地獄」のなかで、他人からは「そんなことぐらいで」と思われがちなしかたで、生徒が自殺を思いめぐらしたり、時には完遂したりする。タシエスは、簡単な文章とすばらしい絵でそれを描いた。
 絵本を見てみよう。
 世の中のよいことはみんな、「ボク」のためではない。「なぜなら ボクには名前がないから/ボクの名前は 学校で みんなにうばわれてしまったから」
 うつむいたボクの頭部は、へたの部分がうなだれたリンゴである。このようなシーンから「ボク」の物語ははじまる。
 教室や学校の廊下や校庭では、さまざまな声が響きわたり、身体が共振しあっている。そんなふうに「みんな」が生き生きと集団的存在になっている姿が描かれている。
 そこでは、一人一人に固有の顔はなく、すべて頭部がリンゴである。しかも、すべて横方向の刻み線によって描かれたリンゴだ。
 すべての頭部が同じ横方向の回転の動きを示す線で刻まれているのは、集団共振的な存在の基本様式をあらわしている。この基本様式の上にのみ、個別の感情が成立する。生徒たちの感情の現れ(表情)は、顔面の表情ではなく、頭頂部のリンゴのへたの角度や動きによって表現されている。これは、固有の名前と顔をもった個人(固有の人)ではなく、役柄関係の関数としてのみ表情を生きる結節(関係の結節点としての個)が存在するという、生徒たちの独特の人間存在感覚を表している(筆者が拙著『いじめの社会理論』(柏書房)で論じたことを、絵本作家はリンゴの刻み線とへたの動きや角度によってわかりやすく描いている)。
 タシエスは、リンゴの群れの絵の続きのなかに、一カ所、「顔」の描写のページを入れている。それは更衣室で加害者が被害者に狙いをつけている場面である。加害者たちは、迫力のある憎々しげな「顔」をしている。強い者の群れが弱い者を狩る生々しい「顔」の勢いを中心とし、それが恐れ呆然とする力ない「顔」の空間部分に波及する場の流れを生んでいる。それが次のリンゴの群れの動きのシーンにつながる展開をみごとに解説している。リンゴの頭部の世界は、そういう「顔」たちの中心と周縁の身分関係によって構造化されている。被害者だけでなく、その憎々しげな加害者たちの「顔」も含めて、群れのなかの「顔」はすべてリンゴの頭部として、群れの関係の結節点として存立している。
 被害者は、自宅アパートのエレベーターの鏡に写った自分の顔(うなだれ、崩れかけ、力なく変形したたリンゴ)を見て、飛び降り自殺をしようと決意する。自殺を試みる際、少年は落ち着いていた。
 「一番上の階で手すりからのりだした/めまいはしなかった」
 少年は死んだのだろうか。
 次のページをめくると、自殺を思いとどまった少年が、リンゴではなく、生き延びることのできた人間の顔でたたずんでいる。
 そして次の文章が続く。
 「ボクに何が起きていたのか ずっと気にかけていてくれたあなた/鳥だけが飛ぶことができるのだと ちゃんと知っていたんだね/思いださせてくれて ありがとう/あなたの本当の名前は?」
 死の間際に、少年は、学校の集団生活よりも固有の自己と固有の世界の方が優先されるという存在論的な差異を会得することができた。存在の深いところから名前を奪い自己と世界を壊しつづける有害環境から脱することができた。
 「あなたの本当の名前」は、この差異化をこれまで生きて来た連続としてのその差異化自身である。自分を気にかけ、自分を大切にするとは、そういう「あなたの本当の名前」の作用なのである。
 もう「ボク」はリンゴの頭部(生徒)であることはないであろう。










名前をうばわれたなかまたち

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