いじめの直し方

何ヶ月か前、荻上チキさんとの共著『いじめの直し方』を朝日新聞出版から出しました。

いじめの直し方

いじめの直し方


この本は絵本になっています。ページをめくりながら、絵が目に飛び込んでくるようになっています。


わたしがこういう絵を描いてほしいと送った線画がすてきなプロの絵になっていました。


わたしが考え、しゃべったことが、チキさんによってすてきな文章になっていました。


そして、中学生にも読める本ができあがりました。



7月にTBSラジオDIGでしゃべりました。


サイトのポッドキャストで聞くことができます。


http://www.tbsradio.jp/dig/2010/07/post-216.html


そのなかで、ある思考実験のためのおとぎ話をお話ししました。


学校関係にかぎらず、さまざまな膠着した議論には、この構図にあてはまるものが多いと思います。

ある国では、35歳から40歳までの人を強制的に収容所の監禁部屋に閉じこめて理想的な共同生活をさせることにした。そのなかで、人々は、狭い檻に閉じこめられたネズミのように、互いに痛めつけ合うようになった。人々を監禁部屋に閉じこめること自体不当なことであり、収容所から解放するのが基本である。しかし、国は監禁部屋の生活を少しでも快適なものにしようと、壁紙を3日に一回変えたり、音楽を流したりする工夫をし、それを国民にアピールした。国民はいつのまにか、監禁部屋に閉じこめること自体を問題にしなくなった。そして、監禁部屋で35歳から40歳までの人たちが、すこしでも「マシ」な生活になるような、些末で矮小な工夫がなされたことを、あたかも問題の解決に近づく努力であるかのように報道するようになった。


先日ある大手週刊誌からインタビューを受けたのですが、企画との不適合のため載せることができなくなった文章です。

「まず学校という「しくみ」がいじめを蔓延させるという認識をもつ必要があります。
日本の学級制度では、朝から夕方まで、40人ぐらいの生徒を狭い教室(クラス)に閉じこめて、わけもわからずみんなでベタベタ生きることを強制します。すると、ネズミやハトを狭いオリに閉じこめると、死ぬまで噛んだりつついたりするのと同じように、子どもたちは集団のなかで残酷になります。」
そう語るのは『いじめの直し方』の著者で、いじめ研究の第一人者・内藤朝雄明治大学文学部准教授。
「いじめ被害者の親は、「なぜいじめのサインに気づかなかったのか」と自分を責めて、追い詰めることが多い。しかし、子どもが本気で隠そうとしている場合、見抜くことはむずかしい。とくに自尊心を徹底的に破壊されたいじめ被害者にとって、しばしば最後の「なけなし」の自尊心が、いじめを親に隠すことです。悲劇的なことに、この「なけなし」の自尊心が、いじめをわからなくさせます。
子どもたちは、学校生活によって、「みんな友だちでなければならない」「仲良くしなければならない」という洗脳をされます。親としては、そうではない!という脱洗脳の視点を日頃から示す必要があります。「みんななかよし」など存在しない。個人と個人が親密だったり疎遠だったりするだけ。暴力をふるわれたら警察。それがうまく通じれば、親がサインを見抜こうとする前に、子どもの方から学校の「イヤなヤツ」について話をし始めるでしょう。


研究者としてのわたしは、学校のいじめについは、やるべきことをすべてやったと確信しています。


事態を改善しようという熱意をお持ちの方は、政治や行政やマスメディア、そしてさまざまな現場の領域に、わたしが考えたことを運んでください。

いじめの隠蔽をしにくい制度設計を

いじめを隠蔽した学校関係者を厳しく処分する懲戒規定を、全国の学校で制度として敷くことを提案する。

いじめの隠蔽をしたり、隠蔽を指示した教員や教育行政の職員は、公金横領や物理的セクハラ同様、懲戒免職を標準とするべきだ。

まず、今回の事件では、マスメディアは、隠蔽があったのかどうかを力をいれて取材すべきだ。また、マスメディアの報道によるいじめ被害者の連鎖自殺を防ぎ、本当にいじめ加害をやりにくくするために、「被害者かわいそう」よりも「加害者わるい」の方に重点をおく必要がある。

連鎖自殺がおきるかもしれないから、いじめについての報道を控えるのではない。そうすると、いじめの問題化がしぼみ、加害者は行為をやりやすくなってしまう。「被害者かわいそう」に焦点をあてることを避けながら、大々的に報道すべきである。

いじめ加害者の悪に焦点を当て、いじめ加害者の責任に焦点を当てる報道をする必要がある。また、いじめ隠蔽者を厳しく処罰することを求める報道をする必要がある。「口止め工作」をした教員や校長・教頭は懲戒免職というのを、日本の常識にしたい。(内藤朝雄)


以下、毎日新聞HPより
http://mainichi.jp/select/today/news/20100303k0000e040031000c.html

中2自殺:いじめ示唆のメモ公開 市教委は「確認できず」
2010年3月3日

女子生徒の自殺について会見で報告する清瀬市教育委員会=東京都清瀬市で2010年3月3日午前10時2分、津村豊和撮影 東京都清瀬市立中学2年生の女子生徒(14)が2月に自殺した問題、同市教委は3日記者会見し、女子生徒がいじめを受けていたことを示唆するメモの全文を明らかにした。市教委はいじめの有無について調査を進めているが「今のところ確認されてない」と説明した。

市教委によると、メモは女子生徒が2月15日に自宅マンション7階から飛び降り自殺した後の同26日、女子生徒の遺族から渡された。女子生徒の自筆で、「学校にいる時間 私には苦痛を感じる」「学校なんか行きたくない 皆が敵に見えるから」「朝 7階から飛び降ります。それか薬物大量摂取」「お父さん お母さんごめんなさい」などと書かれていた。

特定の個人を非難するような文言はないが、周囲から悪口を言われていることをほのめかす表現もあった。

記者会見には市教委の中村泰信教育部長や池田和彦指導課長、女子生徒が通っていた中学校の校長の3人が出席。冒頭、校長が「かけがえのない命を失ったことを大変重く受け止めている。保護者につらい思いをさせ本当に申し訳ない」と謝罪した。いじめがあったかどうかについて池田課長は「生徒から聞き取り調査をしているが、今のところ確認されていない」と述べた。

また、自殺について同級生が「(学校から)口止めをされた」と証言していることに対し、校長は「口止めはしていない」と否定。自殺の公表が遅れたことに池田課長は「警察の捜査の推移を見守っていた」と釈明した。

両親からの訴えを受けた学校・市教委は1日に父親も同席したうえで、臨時保護者会を開き、同級生から事情を聴くことの了承を得て調査を進めている。【青木純、野口由紀、山本将克】

◇「真相解明して」女子生徒の父親
女子生徒の両親は3日、自宅で突然の娘の死へのとまどいや学校の対応への不信感などを語った。

父親(52)は「事前に異変はなかった。どうして死んだか分からない。真相を解明してほしい」と訴えた。母親(53)も「何が彼女を絶望させたかを知りたい」と憔悴(しょうすい)し切った表情で話した。

いじめを示唆するメモは2月25日に見つかり、翌日に警察に届け出た。1日の臨時保護者会に出席した父親は自ら手を挙げ、女子生徒が亡くなった時に着ていた血の付いたワイシャツを手に、メモを読み上げ、真相解明を訴えた。学校側から「傷つくからやめてほしい」と言われたといい、隠そうとする姿勢に不信感を募らせている。

内藤朝雄による、オススメいじめ本

内藤さんに、いじめ研究に役立つオススメ書籍を選んでいただきました。以下、内藤さんのコメント付きリストです。


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1)『いじめの社会理論』柏書房(学術的な本。講談社学術とかちくま学芸とかのムズかしい本を読む習慣のある人は、読んでください)



2)『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』講談社現代新書(大学入学試験に合格する程度の人であれば、ちんと読めば読める。一般向けの決定版)



3)『〈いじめ学〉の時代』柏書房(理屈なしの感覚で読める。やさしい)。3→2→1の順序で読んでくださればありがたいです。また、内藤以外のものとしては、



4)中井久夫アリアドネからの糸』(みすず書房)所収の「いじめの政治学」は必読。すばらしい。



5)菅野盾樹『いじめ--学級の人間学新曜社中井久夫以外に、学識が深い著者による完成度が高い本はこれ)



6)荻上チキ『ネットいじめ』PHP研究所


新しい技術が生み出されると、それが従来あるものの新しい媒体として組み込まれ、新しい姿が人々の目に触れるようになる。それは、大げさに過大評価されるか存在しないかのように過小評価されるかのどちらかであることが多い。ネットいじめについても、多くの本が出されたが、大げさでトンチンカンなものが多かった。それは、ポケベルや携帯が人々の「世界」をがらっと変えてしまったかのように騒ぎ立てる、かつての大げさな言説の、退屈な繰り返しのようにも思える。


そのような、ピントはずれのゴミの山のような「ネットいじめ」言説の中で、唯一まともできちんとした分析をしているのが、本書である。さらに、著者は、ティーン世代のリアルタイムの流行や「物言い」のスタイルに通暁している。本人が最新世代オタクを自認しているだけあって、そのディテールの博識ぶりはすごい!社会科学的な一流の分析力、著者自身ネイティブともいうべきティーン世代のネットコミュニケーション・モードへの博識と通暁、そして何よりもセンスの良さ…この3つがみごとにそろった、著者の才能がまぶしく光る一冊である。



7)森口朗『いじめの構造』新潮新書
スクールカーストという重要ポイントを世に問うた功績は大きい。それを小説で見事に描いたのが、桐野夏生『グロテスク』(文春文庫)。すばらしい。中年になってからひさかたぶりに徹夜で、一心不乱に読んだ。あと、小説では、雨宮処凜『ともだち刑』(講談社文庫)がすぐれている。ときどき月2〜3回の居眠我慢大会で、同僚の斎藤孝さんと、『ともだち刑』は芥川賞ものだよ(齋藤さん)ね、英訳するとノーベル賞ねらえるよね(内藤)などと楽しく雑談している。この2つの小説は、英訳して世界に撃って出るべきものだと思う。


事例・データとして参考になるのは、



1)森田洋司監修/監訳『世界のいじめ--各国の現状と取り組み』金子書房(国際比較研究。いじめはどこでもある。そのどこでもあるいじめを国際比較しようとする努力)



2)佐瀬稔『いじめられてさようなら』草思社



3)畑山博『告発』旺文社



4)豊田充『葬式ごっこ--八年後の証言』風雅書房



5)門野晴子『少年は死んだ』毎日新聞社



6)土屋守監修、週刊少年ジャンプ編集部編『ジャンプ いじめリポート』集英社



7)豊田充『清輝君が見た闇』大海社



8)中日新聞社会部『ぼくは「奴隷」じゃない』風媒社



9)中日新聞本社・社会部編『清輝君がのこしてくれたもの』海越出版社



10)毎日新聞社会部編『総力取材いじめ事件』魔日新聞社



11)西日本新聞社会部取材班『弱者いじめ』西日本新聞社

まず、一つの事件を一冊で詳しく描いたものが、有用だ。「細部に神が宿る」ということはいじめについてもいえる。それから、安易に「近ごろの」○○は……といわないために、古いものを読む必要がある。(2)は85年、(3)は86年の本である。取材したのは出版年よりもさらに古い。西日本新聞社とか、中日新聞社といったローカル新聞がよくやっている。こういう取材の記録はジャーナリズムの財産であると思う。逆にさまざまな報道された事例を短く要約した労作としては、



12)武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか--いじめ白書「自殺・殺人・傷害121人の心の叫び!』WAVE出版


それから、芹沢俊介氏が奥さんといっしょにこんな本を出していた。この本が、もっと世に知られるといいと思う。



13)芹沢美保・芹沢俊介『ある闘いの記録--頭髪校則の撤廃を求めて』北斗出版


加害者としての学校や教員や(学校を中心とした)地域社会についても注意をおこたってはならないので加える。



14)門野晴子『教師に異議あり朝日文庫



15)佐藤章『ルポ内申書未来社



16)藤井誠二『暴力の学校 倒錯の街--福岡・近畿大附属女子高校殺人事件朝日文庫



17)内藤朝雄『〈いじめ学〉の時代』柏書房


そして、若者支援NPOの事例


18)芹沢俊介編『引きこもり狩り--アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判』(雲母書房


(18)は文庫化してほしい。


ネットサーフィンをしていたら、こんなものをみつけた。このN君のなれの果てが、このわたし。そして、ここに出てくる豊明高校校長が、現在「ゼロトレランス」なるものを導入しようとする勢力の中心人物。因果なものである。


http://blueberry.ichiya-boshi.net/togo/

NHK「週刊 ブックレビュー」

拙著『いじめの構造−−なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)が、NHK「週刊 ブックレビュー」という番組で紹介されるようだ。
http://www.nhk.or.jp/book/prog/index.html

放送日時は、7月4日、下記の通り。
NHK BS2 【放  送】 午前8:30〜9:24
NHK BShi 【再放送】 午後10:00〜10:54
評者は信田さよ子氏。


次の予定は、光文社新書から、職場のいじめについて。NHK出版から、わたしのライフワークの青写真。NHK出版のラフ・スケッチで勢いをつけて、あと20年ほどで、ライフワークを完成させたい。



人類は、いつの時代にも残酷なことを繰り返してきた。それは、いつの時代にも人が癌になってきたのと同じことである。しかし、わたしたちは、初期の癌を発見し治療する理論と方法をつくりだした。それと同様、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを発見し、それを抑止する方法をつくりだすこともできるはずだ。筆者はそのための第一歩として、本書を書いた。


論点抱き合わせセットについて・再

北朝鮮が核実験を行ったと報じられた。北朝鮮に対する対処が大きな問題になるだろう。わたしは、『いじめと現代社会』(双風舎)で、論点抱き合わせセットという概念を提出した。北朝鮮に対処するときに、従来の右と左の論点抱き合わせセットに影響されて動くと、致命的な失敗をもたらしかねない。『いじめと現代社会』66ページと112ページに、論点抱き合わせセットの基本図を示した。このブログの過去の記事にも載せたので、ぜひ見ていただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/izime/20080321


本書の第二章で述べたように、わが国では冷戦崩壊後数十年たったいまでも、特殊日本的な右派と左派の対立図式が続いている。右派と左派は様々なトピックを問題化し、それらを争点として対立する。トピックAに右派が賛成で左派が反対というふうに、右派と左派のあいだでいったん問題の縄張りが敷かれると、「知識人」たちはその所属の論理に従って、トピックAに賛成したり反対したりする。右派も左派も、自分がコミットすると称するコア価値(たとえば人権)によって個々のトピックに賛成したり反対したりしているのではない。そうではなくて、右派と左派の線引きのあとに所属の論理によって「どういう信念を持つか。どういう論理を採用するか」の内容が決まってくる。だから日ごろ人権が大嫌いなはずの右派が、北朝鮮政府を加害者とする被害者の人権擁護を担当し、「人権派」を自認する左派が無視し続ける、といった不思議なことも起こる。右派と左派は、公論の場(public arena)を、「われわれとやつら」の論点抱き合わせセットで独占してきた
(図1照)。


図1

この構造は、政策決定に致命的な打撃を与える。右派の論点抱き合わせセットと左派の論点抱き合わせセットが両方ともコンビネーションとしてまちがっている場合、まちがっているふたつのうちのどちらかを選ぶしか選択肢がなくなってしまう。たとえば、トピックA(かつての侵略を認め謝罪する)に賛成「かつ」トピックB(北朝鮮を危険な存在と見なして外交・防衛戦略を練る)にも賛成というコンビネーションの政策のみが日本の安全保障戦略の正解だとしよう。すると、右派がトピックAに反対でトピックBに賛成、左派がトピックAに賛成でトピックBに反対の場合、右派が政権をとっても左派が政権をとっても、人びとは厄災に見舞われることになる(図1参照)。正解を主張する者は、右派からも左派からも憎まれて、発信するチャンスや政治的に影響力を行使する地位を分配されずに「干されて」しまう。
『いじめと現代社会』111〜112ページ)







いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

ウィルス対策に関わるいくつかの提言

朝日新聞2009年5月4日朝刊より

鳥インフルに豚の1割感染。人感染のタイプも。インドネシア
 全身感染性の強毒型鳥インフルエンザウィルス(N5N1型)がインドネシアの豚に広がっていることが、神戸大感染症センターの調査で分かった。人に感染するタイプに変異したウィルスも見つかった。新型の豚インフルエンザに警戒が集中しているが、トリインフルエンザの脅威も確実に高まっている示す示す結果だ。/神戸大チームは05〜07年、現地のアイルランガ大熱帯病研究所と共同で4州の豚計402頭の感染状況を調べた。/その結果、全体の1割を超える52頭からH5N1型ウィルスが見つかった。うち1頭から分離されたウィルスは鳥にも人にも感染するタイプとみられることが分かった。鳥のウィルスが豚に感染を繰り返すうちに、人にも感染するタイプに変化したとみられるという。(以上朝日新聞記事より)


 今回の豚インフルエンザがどれほどの致死性を持っているかはわからない。幸運なことに、そんなに危険なタイプではなかったのかもしれない。しかし、人に感染すると致死率がきわれて高いといわれる鳥インフルエンザが、豚の中に入って変異し、致死率が高いまま人に容易に感染するタイプに変異した場合、ものすごい数の人が死ぬことになる。

 インフルエンザに限らず、グローバル化された時代には、ある地域で発生した新型病原菌が瞬時に地球上の人口密集地域に拡散する。コロンブスの時代ですら数年単位で梅毒が世界に拡散した。さらに「地球が小さくなった」現在では、大量の人が瞬時に世界中の人混みを行き来する。数年前のSARSのときは、たまたま菌の「お人柄」がよくて助かったが、場合によってはすさまじい数の人々が死んでいたかもしれない。こういう「ニアミス」が何回かあった後に、人類の大量死が起こる。わたしたちの数人い一人が非業の死を遂げる可能性があるのだ。
 仮に今回の豚インフルエンザが凶悪なタイプでなかったとしても、SARSの時と同様、ひやっとさせられる「ニアミス」であることに間違いはない(もちろん、今回の豚インフルエンザが凶悪なタイプに変異する可能性もゼロとはいえない)。鳥インフルエンザが単独で、あるいは豚などを介して、人間間の感染力が強いタイプに変異する破局に向かって、確率的なカウントダウンが進んでいることは間違いない。
 インフルエンザに限らず、グローバル時代を生きるわたしたちは、病原菌相手のロシアンルーレットにつきあわされているのだ、ということを忘れてはならない。これからは、対策を万全にしておかなければならない。

 報道では、現在、空港での検疫を強化している姿がしきりに映し出されている。しかし、WHOの専門家によれば、そんなものは、ほとんど意味がないそうだ。いったん、新型インフルエンザが発生すれば、国境線でのブロックは不可能だ。かなりの確率で、われわれは大量死の運命にさらされる。



 さて、先日政府は、15兆円の追加経済対策を発表したが、【きちんと考え抜かれていないばらまき】に終わりそうだ。このお金の使い道には、「国立メディア芸術総合センター」なる「国営の漫画喫茶」のようなものをおよそ100億かけてつくるという計画まであるそうだ。
http://www.insightnow.jp/article/3341
http://animeanime.jp/biz/archives/2009/04/117_3.html



どういうところに金を使うべきか、考えてみよう。



 まず、タミフルリレンザなどを大量生産し、国民全員分行き渡るようにするべきだ。それは、今回の豚インフルエンザ対策に限らず、同じようなことが起こる可能性にそなえてである。そして、平時の余っているときは、貧しい国に人道的援助で提供しよう。金や食料であれば現地の腐敗政権にもって行かれるが、こういう物品は、困っている人を助ける意外に使い道がないからこそ、援助に最適なのだ。また、大量生産すればするほど、単価はべらぼうに安くなる。
 その財源がなくて、なぜ、「国営の漫画喫茶」の財源があるのだろうか?

【細胞培養法によるワクチン製造】 現在、日本ではインフルエンザワクチンは、鶏卵を使って製造している。
これだと、インフルエンザの変異に応じて、迅速に舵を切り、大量に生産するのがむずかしい。
現在、世界では細胞培養法の技術開発が進んでいる。
鶏卵法とは別の、細胞培養法で、新しいタイプのワクチンを大量生産できる技術に、巨額の予算を割くべきだ。

【宅配医療】 もし致死性の強いインフルエンザ(インフルエンザに限らず感染力と致死性の高い病原菌)が大流行した場合、病院が最も危険な場所になる。
郵便や電話や電子メールやインターネット診断で、症状を聞き、郵便や宅配でタミフルリレンザなどを送るシステムをつくるべきだ。

【宅配ワクチン】 病院に行かなくても、ひとりひとりが自分でワクチンを打てるようにする。シールをはがして皮膚に押しつけるタイプの器具を開発し、それを宅配や郵便で送る。

宅配ボックス】 配達員を介して感染が広がる可能性も考えられる。全国民の自宅に宅配ボックスを設置する。



最も危険なのは、病院であると述べた。
次に危険なのは、満員電車である。
どんなに注意をしても、満員電車に一回のるだけで、すべての感染予防の配慮が水の泡になる。
それほど、満員電車は危険だ。

企業が一極集中してしまう条件をなくして、満員電車で通勤しなくてもよいようにする必要がある。
また、ひとりひとりの働き方を変える必要がある。

私たちの社会を、無駄に人と会わなくても仕事ができる社会にすることだ。
どれほど、無駄な会議が多いことか。

必要な会議や打ち合わせは、電子媒体で行うことにする。
必要不可欠な会議にかぎり、テレビ会議システムを採用する。

この技術が世に広まれば、これまでどれほど無駄な会議が多かったか明らかになるだろう。

経済・医療システムが「実際に会う」人間関係に依存しなくてもよいようになれば、人口が大都市に集中する必要がなくなる。
このことによって、満員電車に乗る必要性も減る。

この社会システムの変化を短期間で起こす必要がある。

もちろん、学ぶ仕方も、無意味に人が集まらなくてもよいスタイルに代える。
たとえば、e-ラーニングでできるものは、e-ラーニングで行う。そのために、e-ラーニングの技術開発に大きな予算を割く。



経済効果

さて、グローバル化した世界で、新型病原菌による大量死を回避するための上記の緊急提言は、実は日本経済を強くする政策にもなっている。
つまり、安全と繁栄を両方もたらす一石二鳥の政策なのである。

● 電子診断と宅配医療は、医療費を大幅にコストダウンさせるだろう。ちょっとした身体の変調でも、命に関わる病気であったらおそろしいので一応、病院に行って診察を受けて、検査をすることが多い。そのために何時間も待たされて、5分診察を受けるといったことも多い。
血液や脈拍や心電図などの簡単なものは、電子機器によって自宅の端末と病院をつないで「出頭」することなくモニターを継続できるようにできる。そして、必要に応じて医師や専門家から指導や呼び出しを受けるようにする。

● 現在の日本は、男性も女性も仕事をする社会になっている。また、単身世帯も増えている。自宅に誰もいないことが多いので、配達物を受け取ることがなかなかできない。ポストには不在通知がたまる一方だ。結局、休日に配達物を受け取るために自宅で待機していなければならなくなる。時間指定はむずかしい。だいたい、午前中とか、午後とか、夜とか、そういった時間の刻みである。宅配のおかげで、せっかくの休日の半分が自宅待機で潰されてしまう。
 これはひどく不便である。
 そのために、インターネットを用いた宅配による買い物が、いまひとつ、世の中に広がらない。
 しかし、各家庭に一つ、宅配ボックスを設置することによって、この不便さがなくなる。
 店舗がいらないインターネット&宅配による売買は、コストを下げ、経済効率を高くする。そして、市場が元気になる。そのためには、宅配ボックスの標準設置が必要になる。インターネットと宅配のビジネスは、宅配ボックスという「インフラストラクチャー」によって支えられる。このインフラの整備を、インフルエンザ対策と経済対策の一石二鳥として行うのだ。

● 無意味な会議や打ち合わせが減れば、企業はものすごいコストダウンを達成できる。とくに上層部の組織内の人間関係の政治は、それ自体、組織目標の達成を妨げる障害である。
 効率のよい仕事をして、だらだらと職場に滞留することなく、あっさりと家に帰る。そんなに人に会わなくても効率よく回転する経済システムによる繁栄分を、企業上層部の役員報酬などにまわすことなく、税金で吸い上げて医療費や教育費やセーフティネットの予算にまわす。
むしろ、新しいシステムは、会議をしてリッチに生活している上層部の人員(特に組織内で人間関係の政治をする人たち)のダブツキが、いかに組織にとって「いらない」ものであったのかを明らかにするだろう。

● 人と会う必要がなければ、人口密集地帯にオフィスをかまえる必要がなくなる。高額な土地家屋代、テナント代が、いらなくなる。日ごろ酒を酌み交わしたり、なかよしごっこ(人格の査定ごっこ)をしたりしなくても、信頼してビジネスを行うことができるシステムを構築することは、経済を飛躍的に発展させる。会ったこともない人との間で、さくさく、するするビジネスができる社会は、経済インフラの整った社会である。

● 土地がべらぼうに高い東京に企業が拠点を置くのは、実際に会ってべたべたつきあう有力者のネットワークを維持する必要にかられてであった。企業にこの「必要」を要求するのは、経済にとってはマイナスである。都心の高額なオフィスの費用は、企業の足かせである。この「必要」から解放されたら、日本経済は、ものすごいコストダウンを達成することになる。

● 日本経済は、新型の病原菌によって人口密集を許されなくなるという条件を強制されることによって、もう1段階進化し、発展することになる。この可能性に賭けようではないか。

● e-ラーニングの技術を上げ、普及させることによって、マンパワーを低コストで引き上げることができる。また、人がべたべた集まらなくても、自分で学習し進化できる有能な人口層の増大は、日本経済を繁栄させるだろう(学校教育によって、べたべた集まって互いの内蔵の臭いをかぎあっていなければ何もできない無能な人間が量産されてきた(拙著『いじめの構造:なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書))参照。インターネットは、さまざまなプラスやマイナスの効果を及ぼしたと言われているが、人々に自分で調べる学習の機会を与えたことは、意外とネット評論家のあいだで大きな論点になっていない)。

●上記の政策は、新しい市場のニーズと雇用を生み出す。経済政策は、麻生政権がやっているような無意味なばらまきではなく、新しいニッチを生み出すようなしかたでなされなければならない。それを、インフルエンザ対策と一石二鳥で行うことができるのだ。


 もう一度くりかえそう。

1 新型インフルエンザに関して言えば、本当にこわいのは、鳥の殺人ウィルスが豚に入って、それから人の間で大流行することである。インフルエンザに限らず、グローバル化された世界では、感染力の高い病原菌は狭い地域の風土病にとどまることはなく、瞬時に世界に広がって、人類の大量死をもたらしかねない。その可能性は十分ある。それに対して、水際作戦には限界がある。その用途は、もっぱら時間かせぎである。実効的で永続的な効果をもたらすためには、医療・社会システムを変えることによって対処するしかない。

2 大厄災への対処は、社会システムを変えるチャンスにもなる。

 大厄災への対処を、社会システムの改善と一石二鳥になるように行う危機対処が、もっとも賢い政策である。

 政策は、ひとつのことが、同時に複数のプラスの効果を及ぼすように行うものである。

 わたしは、必要にせまられてやるしかないインフルエンザ(あるいはグローバル時代の病原菌)対策を、いきづまった日本社会の改革と一石二鳥になるデザインで実行することを提言する。





2009年5月に、わたしがこの提言を世に問うたことを忘れないでいただきたい。
将来、かならず、上記のアイデアが大きな意味を持ってくることになる。
このプランを他の国が採用してから、遅れて日本が「どうしよう、どうしよう」と右
往左往するときが来るかもしれない。
そのときは、このブログの記事を思い出してほしい。
2009年の時点で、日本政府がこの政策を採用していたら、こんなに多くの人が死
なずに済んだのに、こんなに経済が壊滅しなくてすんだのに、という未来が来ないこ
とを祈る。どうかわたしの言葉に耳を傾けてほしい。

★★ 社会心理現象としては、「青少年凶悪化」のデマが世を駆け巡ったときと同じタイプの「過剰反応」のメカニズムが大衆を動かすことになるのかもしれない。しかし、そのような衆愚現象とは別の次元で、サイエンスの次元で、大きな危険がある。WHOの科学者たちは鳥インフルエンザをはじめ新型病原菌に大きな危機感をもって警戒をしてきた。伝染病の専門家たちは、グローバル化した世界では、かつてなら風土病で済んだものが、現在では瞬時に地球を駆けめぐることに警鐘を鳴らしてきた。日本はその対策を怠ってきた。衆愚現象としての「過剰反応」が好ましくないからといって、それは、警戒を呼びかけない理由にはならない。

新刊『いじめの構造』の一部を公開します!

いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を刊行しました。



本書では、モデル現象としての学校のいじめに焦点を当て、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを明らかにし、そこから生じる苦しみを減らすための具体的な政策を提言した。このような内容をレベルを落とさず、しかも誰でも読めるような平易な言葉で書き示すのは、理想ではあるが、大変な注文である。思えば講談社現代新書から依頼を受けたのが二〇〇五年一月。それから担当者が何人も入れ替わり、焦燥感だけがつもった。書けないのである。泥沼の消耗戦ともいうべき月日が流れた。
そして、二〇〇九年二月、この課題をクリアーした。


どうか手にとってご一読ください。

はじめに(3〜5ページ)
逃げることができない出口なしの世界は、恐怖である。そこでは、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。
そして、自分が悪意のターゲットにされたときの絶望。
いじめは、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。本書では、人間が人間にとっての怪物になる心理―社会的メカニズムである、普遍的な現象としてのいじめに取り組む。
本書は、学校のいじめについて、分析をおこない、「なぜいじめが起こるのか」について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書である。
以下に各章の内容を説明する。
第1章「『自分たちなり』の小社会」では、学校という狭い空間に閉じこめられて生きる生徒たちの、独特の心理-社会的な秩序(群生秩序)を、いじめの事例から浮き彫りにする。
第2章「いじめの秩序のメカニズム」、第3章「『癒し』としてのいじめ」では、他者を思いどおりにせずにはおれない「全能」や、他者に侵入して自己を生きる「投影同一化」が織り込まれた、閉鎖的な小社会の秩序のメカニズムを明らかにする。 
第4章「利害と全能の政治空間」では、第2章・第3章で論じた「おぞましい歪んだ情念」の秩序が、「利害」の秩序とむすびついて、現実の「生きがたい」政治空間を生み出すメカニズムを明らかにする。
第5章「学校制度が及ぼす効果」では、生徒たちを閉鎖空間にとじこめて強制的にべたべたさせる学校制度の効果として、右記の心理-社会的な秩序が蔓延し、エスカレートするメカニズムを論じる。そして、それをどのようにブロックできるかを考える。
第6章「あらたな教育制度」では、前章までで問題にしてきた「生きがたい」心理-社会的な秩序をなくしていくための政策提言を行う。
第7章「中間集団全体主義」では、これまでの議論をふまえて、「中間集団全体主義」というあらたな全体主義の問題を指摘し、論じる。
筆者が研究してきた成果を語ることで、いじめの問題に関心をもつすべての人に、少しでも役立つことができれば幸いである。
(『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』3〜5ページ)

おわりに(264〜265ページ)
本書を通読した後に、もう一度「はじめに」に目を通していただきたい。書かれている部分、すなわち「モデル現象」としての学校のいじめに重ね合わせながら、まだ書かれていない二つめの仕事、すなわち大人のいじめ(あるいは構造的な加虐迫害)の問題が立ち上がってくる。
本書で提出する理論は、さまざまな現象に適用することができる。それは、学校のいじめに限定されるものではない。それは、家族、職場、軍隊、部族、収容所、ギャング、宗教団体、民族紛争地域、地域コミュニティなどあらゆる場所で生じる、人間が人間にとって怪物になる現象を説明するものである。またそれは、人類の歴史上のあらゆる時代、あらゆる地域にあてはまる普遍的な現象である。
読者のなかには、学校で嫌な思いをした方もおられるだろう。それは、目撃体験を含めれば、ほとんどの人の経験かもしれない。この、わたしたちの共通の痛みの経験を出発点にして、もっとおそろしい大人の普遍的な現象を理解し、それにストップをかけるための方策を練ることが、本書の二つ目の目標である。
人類は、いつの時代にも残酷なことを繰り返してきた。それは、いつの時代にも人が癌になってきたのと同じことである。しかし、わたしたちは、初期の癌を発見し治療する理論と方法をつくりだした。それと同様、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを発見し、それを抑止する方法をつくりだすこともできるはずだ。筆者はそのための第一歩として、本書を書いた。
21世紀の人類社会が、人間にやさしい社会であるように!
2009年2月  内藤朝雄
(『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』264〜265ページ)


本書第二章第一節では、動画を入れたかったが、紙媒体のため不可能であった。中途半端な挿絵を入れるよりは、文章だけで説明することにした。
ここで、その部分(本書54〜60ページ)を抜粋した後で、「YOU TUBE」の動画を紹介する。本書を読みながら、この動画を見ていただくと、イメージが豊かにふくらむことと思う。

第2章 いじめの秩序のメカニズム
1・「わたし」に侵入して、内側から変えてしまうもの

第1章では、狭い空間で生きる生徒たちが生み出す小社会の秩序を、いじめの事例から浮き彫りにした。ここでは、この秩序においてはたらく心理-社会的なメカニズムをくわしく説明しよう。
寄生する生物たち
イメージをわかりやすくするために、寄生虫の例をあげることからはじめよう。
寄生虫がいつのまにか自分の中に侵入し、わたしの内側からわたしを操作して、わたしにおぞましい生き方をさせてしまうとしたら、これほど不気味なことはない。
イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスは、『延長された表現型』(紀伊國屋書店)で、このような世界を描いている。彼によれば、「中間寄生を含んだ生活環をもっている寄生虫は、その中間寄主からあるきまった最終寄主へ移動しなければならないが、しばしば中間寄主の行動を操作して、その最終寄主にその中間寄主が食べられるようにうまく仕向けている」。
ドーキンスは、いくつかの不気味な例を挙げている。

■  リューコクロディウム属の吸虫は、カタツムリに寄生した次に、鳥に寄生する。この吸虫がカタツムリの角(つの)に侵入すると、暗いところを好むカタツムリが、光を求め、日中に活動するようになる。そのためにカタツムリは鳥に発見されやすくなる。鳥はカタツムリの角を食いちぎって食べる。こうして吸虫は、鳥の体内にはいる。カタツムリは吸虫によって、光を求めるように内側から操作されたと考えられる。
■  ミツバチに寄生したハリガネムシの幼虫は、成虫として水中で生活するためには、ミツバチの表皮を突き破って外に出て、水中に入る必要がある。ハリガネムシに寄生されたミツバチは、しばしば水に飛び込むことが報告されている。一匹の感染したミツバチが水たまりの方へ飛んで行き、水中へダイヴィングした。その直後の衝撃で、ハリガネムシはミツバチのからだを破って飛び出し、泳いでいった。重傷を負ったミツバチはそのまま死んでしまった。
■  鈎頭虫(こうとうちゅう)類ポリモルフス・パラドクススは、淡水のヨコエビを中間寄主とし、最終寄主は、水面の餌を食べるマガモや、マスクラット(齧(げっ)歯類の哺乳動物)である。寄生されていないヨコエビは光を避け、水底近くにとどまる習性がある。ところが、ポリモルフス・パラドクススに寄生されたヨコエビは、光に接近するようになり、水面近くにとどまり、水草に執拗にまとわりつくようになる。その結果、ヨコエビマガモやマスクラットに食べられやすくなる。


あわれなカタツムリやミツバチやヨコエビは、寄生虫の遺伝子の「延長された表現型」、あるいは「乗り物」として生きさせられる。さて、これらのおぞましい例は、他の生物が寄主に寄生する話である。だが、社会が寄生虫であるとしたら!
つまり、わたしたちが集まってできた社会が、いつのまにかわたしに侵入し、内側からわたしを操作して、おぞましいやりかたで生きさせてしまうとしたら、それは吸虫やハリガネムシやポリモルフス・パラドクスス以上に不気味である。
実際、学校に軟禁されて生徒にされてしまった人たちが織りなす小社会の秩序は、しばしば、これらの寄生虫と同じ作用をおよぼす。


「何かそれ、うつっちゃうんです」
次に、いじめをしている女子中学生の例を見てみよう。

【事例6・何かそれ、うつっちゃうんです】
「ひとりやったらできへんし、友だちがいっぱいおったりしたら、全然こわいもんないから。何かこころもち気が強くなるって言うか、人数が多いってことは、安心する、みたいなんで。一回いじめたら、止められないっていうか。なんか暴走してしまうっていうかな」。
「友だちに『あのひと嫌い』って言われると、何かそれ、うつっちゃうんですよ」。
(NHKスペシャル「いじめ」いじめの加害者である生徒のインタビューより、1995年10月1日放映)


この女子中学生は、「友だち」と群れていると、カタツムリが日中に徘徊(はいかい)し、ミツバチが水に飛び込み、ヨコエビが水面で水草にまとわりつくように暴走して、いじめが止まらなくなる。友だちに「あのひと嫌い」と言われると、「何かそれ」がうつってしまう。生徒たちは、自分たちが群れて付和雷同することから生じた、心理-社会的な秩序の「乗り物」になって生きる。
このように個をとびこえて、内側から行動様式が変化させられてしてしまうことを、図2(図2については、書籍58ページを見てください)のように現すことができる。カタツムリの場合、吸虫の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化したのである。
それと同様に、女子中学生の場合、「友だち」の群れの場の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化した。「何かそれ、うつっちゃうんですよ」という発言は、群れに「寄生され」て内的モードが変化させられる曖昧(あいまい)な感覚をあらわしている。
学校の集団生活によって生徒にされた人たちは、(1)自分たちが群れて付和雷同することによってできあがる、集合的な場の情報(場の空気!)によって、内的モードが別のタイプに切りかわる。と同時に、(2)その内的モードが切り替わった人々のコミュニケーションの連鎖が、次の時点の集合的な場のかたちを導く。(3)こうして成立した場の情報が、さらに次の時点の生徒たちの内的モードを変換する。この繰り返しから、前ページ図3(図3については、書籍59ページを見てください)のような、心理と社会が形成を誘導し合うループが生じる(図3は単純化して描かれているが、実際は螺旋(らせん)状のループである)。これは、個を内部から変形しつつ、個の内側ら個を超えて、社会の中で自己組織化していく作動系(システム)である。
以下の各節では、学校で生徒にされた人たちの生に即して、いかなる内的モード(心理)が、どのように、どのような領域で連鎖するのかを、よりくわしく考えていこう。
2・不全感と全能感の「燃料サイクル」
「みんなむかついていた」

(後略)


動画

■リューコクロリディウム族の吸虫
http://www.youtube.com/watch?v=EWB_COSUXMw

ハリガネムシ(この場合、犠牲者はミツバチではなくコオロギ)
http://www.youtube.com/watch?v=Df_iGe_JSzI