ゆとり教育について: 「論点」 “風通しいい”学校目指せ


10年前に『読売新聞』に書いた文章(2003年7月4日)。
掲載可能なように、担当者と何回もメールでやりとりをして、激しい表現を丸くした作業がなつかしい。
激しい語彙を使わなくても十分表現できるということは、目から鱗だった。
執筆でも講演でも、媒体の担当者とやりとりしながら相手側の許容範囲内に修正することで、表現の幅を広げることができるのは楽しみだ。多くの人が思い込んでいるのとちがって、私は以外と柔軟なのだ。

表現は軟らかくても、内容は相変わらず強烈。これがいい。



そして、
10年前の文が未だに古びないのは、なんともなさけない。


「論点」 “風通しいい”学校目指せ

 子どもの学力低下が取りざたされている。しかしこの問題が浮上するまでは、子どもたちは「ゆとり」を奪われて押し潰(つぶ)されている、という世論が優勢だった。「ゆとりが必要」という考えは間違っていなかった。では、なぜこうなったのか。
 「ゆとり」派の知識人や政策グループは、そのエネルギーを見当はずれな的に暴発させたのである。彼らが敵視したのは「偏差値」や「つめこみ」教育あるいは勉強の労苦だった。しかし、学校の息苦しさの最たるものは勉強のきつさではない。
 日本では、学校は生徒を市民社会の論理から遮断して独特の閉鎖空間に囲い込み、「みんな仲良く」生きることを強いる場となっている。何より「協調性」が重視され、不満も怒りも押し殺して順応することが求められる。こうした閉鎖空間は江戸時代の大奥のように、「人間関係をしくじると運命がどうころぶかわからない」場所になる。先輩後輩や強者と弱者の関係は時として恐るべきものとなる。いじめも蔓延(まんえん)するだろう。
 加えて、人の心の「よい・わるい」を評価する内申という制度が、教員に生徒の生殺与奪の権を与え、生徒をしばしば卑屈にする。生徒たちは、いつ足をすくわれるかわからない人間関係に神経をすり減らし、しばしば感情状態を場のムードに売り渡して生き延びる。
 学校で剥奪(はくだつ)される「ゆとり」とは、まず人間関係の「ゆとり」なのである。しかし、文部省(現文科省)は「ゆとり」の意味をはきちがえ、勉強が要する労苦を敵視して学習内容を削り、学力低下問題を引き起こした。これに対して、一部の人々が厳しい批判を展開した。しかしこの批判派は、「なんでも厳しく」しようとする傾向が強く、勉強の厳しさと、集団で自分を殺して生きる厳しさを「抱き合わせのセット」にして主張しがちだ。
 一方「ゆとり」派は一見、保守的批判派の「何でも厳しく」に反発して、「勉強も人間関係も緩く」と主張しているように見える。しかし班活動などで集団主義を推進してきたのは、進歩的「ゆとり」派のはずの日教組だった。かつての大会記録には、同調しない生徒に対する「仲間はずし実践」が奨励された例さえある。
 私は、いずれの「論点抱き合わせセット」も、問題を解決しないと考える。学校は、全生活を囲い込む施設ではなく、何より勉強をする場として位置付け直すべきである。生徒には高い水準の学習成果を求め、水準に達しなければ単位を認定しないようにする。そのためには、一科目でも落とせば全科目がやりなおしになる学年制をやめ、学校制度を年齢にかかわらない単位制で組み直す必要も出てくる。
 一方、人格支配や身分的上下関係、内申や細かい校則、集団主義を進める学級制度などを見直し、学校を風通しのいい、「人間として」生きやすい場にする。教員も些末(さまつ)な生徒指導にとられるエネルギーを授業準備など本来の教育に集中できる。
 ある知人がオーストリアで、ピアスをした厚化粧の女子生徒が、教員から「この学業成果では単位はない」と言われて泣いている情景を見たという。独仏などでは、教員は生徒の私生活にほとんど介入しないが、学業専門家としては「厳しい」。ピアスや茶髪を犯罪であるかのように「摘発」する教員が、分数もできない中学生を卒業させてしまうような、日本のでたらめな「甘さ」とは好対照である。
 最近は、学力低下の弊害を突く「ゆとり」批判派が優勢だが、「勉強を厳しく」に引きずられて、「人間関係を厳しく」も優勢になれば、息苦しさが加速しかねない。「ゆとり」論争が、「勉強は厳しく、人間関係は緩く」という第三の視点を含め、より広い選択肢をふまえたものになることを期待したい。
                  ◇
 ◇ないとう・あさお(明治大学専任講師) 高校中退、東大大学院を経て現職。著書『いじめの社会理論』(柏書房)で教育改革を提言。

(『読売新聞』2003年7月4日(13面、肩書きは当時のもの))
 


論点抱き合わせセットについては、こちらを参照
http://d.hatena.ne.jp/izime/20090527/

各党いじめ対策法案の致命的欠陥−−コメントを朝日に発信

自由民主党民主党のいじめ対策法案について厳しいコメントを、多くの人々に向けて発信しました

 いじめ問題について法律で対策を講じることには賛成だが、与野党の法案を見る限り、両者とも決定的なポイントがずれている。
 いじめは学校という閉鎖空間の中で密着した人間関係が強制され、一人ひとりが強く同調を求められる中で、どこまでも増殖する。外部の社会とは別の心理状態になり、独自の残酷な秩序に支配されてしまうのだ。与野党案とも閉鎖的な生活環境を改善する点を示しておらず、これは致命的な欠陥だ。
 与党案は全般的に「適切な措置を講ずる」といった抽象的な文面が並んでいたり、調査結果で何をするのか分からない調査の仕組みが延々と書かれていたり。野党案も無意味な調査部署や対策本部を大量に新設することで、税金の無駄遣いや天下り先、教育利権を生み出すことになりかねない。
 細かい点を見れば、教職員に警察への通報義務を課した野党案は、いじめを行為の種類で二つに分類したうちの一つ、殴る蹴るなどの「暴力犯罪刑」には力を発揮するだろう。与党案では通報基準が学校の判断に任されており、いじめの隠蔽につながる恐れが残る。いずれにせよ、両案とも悪口や仲間はずれのような「コミュニケーション操作系」のいじめには効果がない。
 法律でいじめの蔓延とエスカレートを抑止する対策としては、まずは「暴力犯罪系」に司法の力を導入すること。さらに「コミュニケーション操作系」を抑え込むために、狭い教室の中で毎日を同じ顔ぶれで過ごす今の学級制度を変えることこそが必要なのだと思う。
 (『朝日新聞』2013年5月29日、朝刊、第16面)


詳しくは拙著『いじめの構造』を参照

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)


自民党の教育観については、
教育改革国民会議第1分科会(第4回、平成12年7月7日)
配付資料一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)
を参照されたい。
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html
ウェブ魚拓
http://megalodon.jp/2013-0530-1939-25/www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html

内藤がデマを流しているというネット右翼によるデマについて

ネット右翼が、内藤朝雄がデマを流しているというデマを流していた。

ネット右翼のデマツィートを目にされた方は、これをご覧下さい。

(メディアの方々はネット右翼による嫌がらせの横行について報道をしてください。これがあたりまえになると、日本の自由と民主主義は滅びます。ナチ党やファシスタ党が私兵集団による嫌がらせを繰り返しそれを警察が黙認する構造と同じ構造が日本にできあがってしまったらもう遅いのです。手遅れになるまえに阻止しなければなりません)

★これ↓がネット右翼たちによって「デマ」とされたツィート



【選挙までに、リツィートしまくってください。大切なものを壊される前に。多くの人に知ってもらいたい】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月28日




【解説】紹介元http://togetter.com/li/414355の「ツィート」ボタンをおして紹介すれば、「自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいましたhttp://togetter.com/li/414355 」という紹介元のタイトルとアドレスが必ず出てくるようになっている。これを見た方は、 http://togetter.com/li/414355の「ツィート」ボタンを押して実験してみていただきたい。その部分に内藤が【選挙までに、リツィートしまくってください。大切なものを壊される前に。多くの人に知ってもらいたい】という文章を加えてリツィートしたもの。元々「内藤によるデマ」というネット右翼によるデマが流されている文書は、内藤によるものではなく、紹介元の文章。

そのうえで内藤は、ツィートの内容と趣旨についてきちんと解説している。また引用元のhiroujin氏によるタイトル自体もまちがっていないという内藤による解釈を示している(これがhiroujin氏の考え通りかどうかはわからないが)。これを匿名のネット右翼たちはわざと伏せて、内藤がデマを流したというデマを流して、犯罪行為までも行っている。





【上記の根拠】内藤朝雄のツィートより。

【文章理解力が足りない人への説明2。この先は私が「ツィート」を押す元のhiroujin氏の文章→】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

【文化条項が人権に競り勝つことに危機感を抱いて、条文比較の部分を読めという意味で、「ツィート」ボタンを押した。「ツィート」元タイトルはぶっきらぼうだが間違ってはいない。ぶっきらぼうな文章を、国語力が足りない人が誤解して、デマだと騒いでいる】http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

国語力不足だと理解不能か  文「『X』が削除された」は他の箇所についての判断を含まない。  複数の価値がせめぎあう配置のなかで最高価値であるがゆえに意味があった人権を別の価値との関係で相対的に決まるものに格下げした場合人権を否定したと言えるhttp://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

【日本語を読めず勘違いした人が騒いでいる。元文書のかぎかっこ(「」)は削除部分を示すというだけの意味】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

【日本語力がない人にもう一度説明する。日本語「『X』を削除しました」は他の箇所についての判断を含まない】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

ただし、人権の力を弱めるために条文の配置や細部の文章加工で姑息なことをやっている可能性は疑っている。めんどくさいから、そういうこまこましたことは法学者に任せる。

2012年11月29日

【これをリツィートするときは、前述の【国語の授業】と【価値論の授業】を参考にするとわかりやすいでしょう】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

【解説】日本語読解能力が低い人が誤解しないように、これだけ懇切丁寧に注意している。




 【国語の授業】かぎかっこ(「」)はどういうときに使うか。  【価値論の授業】さまざまな価値がせめぎあう生態学的布置のなかで最高価値であるがゆえに意味があった価値を、別の価値との関係で相対的に決まるものにした場合、その価値を否定したと言える。憲法上の基本的人権はそういう類の価値だ。

2012年11月29日

憲法は原理的構成物だから、人権を守っているように見せかけながら原理的基礎を個の尊厳から日本文化にひそかに移し替えれば、それで右翼の勝利。日本文化にそぐわないということにすれば、なんでもあり。人権と日本文化の「かねあいで」とか「日本文化的」人権とかいうしかたで人権が滅ぼされる。

2012年11月29日

【解説】ここでhttp://togetter.com/li/414355を引用した趣旨をきちんと説明してる。




【選挙までにリツィートしまくってください。憲法は原理的構成物だから、人権を守っているように見せかけながら、原理的基礎を人間の尊厳から日本文化にひそかに移し替えれば、それで右翼の勝利】http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

【選挙までに拡散:ポイントは日本文化なる幻想を人民や人権の上位に位置づける憲法構成上の原理変更】自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました http://togetter.com/li/414355

2012年11月29日

ポイントは、右翼勢力に都合のよい日本文化なる幻想を、人民や人権の上位に位置づけることになる憲法構成上の原理変更をいつのまにかやってしまうことなんだよ。誰も気づかないのか。

2012年11月29日

「原子力ムラ」と仲間内の論理

9月に寄稿した記事「『原子力ムラ』と仲間うちの論理」(『図書新聞』第3029号)を紹介する。
さまざまな方々がビラにつかってくださればと思って執筆した。

今、子どもたちを被曝で殺そうとしているエリートたちが、最も言われたくないと思うはずのことに狙いを定めて書いた。この論理を活用していただければと思う。

原子力ムラ」と仲間うちの論理     

                              内藤朝雄       

                   『図書新聞』3029号、2011年9月10日




 福島第一原子力発電所が事故を起こし、大量の放射性物質が飛散した。事故直後から、政府の放射性物質の拡散予測システムが働いており、風向きや地形により放射性物質が濃厚に飛散すると予測される地域では、避難させずに放置しておけば多くの人々が被曝し確率的に殺される(確率的殺害については後半で説明する)ことがわかっていた。しかし役人たちは、ひどい被曝が予想される地域の人々に何も知らせず隠蔽した。そのことによって、これから数年から数十年(子どもの場合は数年から十数年)の間に、避難していたならば病気にならずにすんだはずの人々が確率的に病気になり、寿命を短縮せずにすんだ人々の寿命が確率的に短縮することになった。日ごろから、もちつもたれつで生きていた役人たちの仲間うちの論理が、人の命よりも優先された。
 それは、いじめ研究にたずさわる者が繰り返し目にする、いじめ自殺に対する学校関係者たちのふるまいと同じである。すなわち、人の命が失われたことに対して、マス・メディアが大々的に報道し、広い社会がゆゆしき問題としているにもかかわらず、学校関係者たちは、それを驚くべき露骨なしかたで軽視し、隠蔽しようとする。外の社会がなんと非難しようと、自分たちは日ごろのの仲間うちの世界に埋め込まれ守られているという、強烈な感覚を、学校関係者たちは生きている(拙著『いじめの講造:なぜひとが怪物になるのか』講談社現代新書)。
 またそれは、非加熱血液製剤によって薬害エイズが広がり感染した患者が次々と死んでいくにもかかわらず、仲間うちの論理で、非加熱製剤を投与し続けた医師たちのケースと同じである。安全な加熱製剤「クリオ」を使うことを示唆した助教授に対して、教授は「クリオを推すと君の将来はないよ」と言ったと報じられた。
 今回の原発事故で多くの人々は、こういう「ムラの仲間たち」のおかげで被曝して癌になったり死んだりしなければならない。「原子力ムラ」とは、こういう仲間たちの代名詞である。それは、原子力発電の利益に直接関わる(狭い意味での)「原子力村」の中枢から離れていても、農林水産省の流通・消費・安全担当や、文部科学省の小中学校担当のようなところにも、広がっている。どこを切っても同じ顔があらわれる金太郎飴の絵柄のように、「ムラ」があらわれ、人の命よりも仲間うちの都合が優先される。
 こういう人たちは「組織の陰に隠れていれば何をやっても許される」という安心感があるかぎり、自分たちがやっていることが大きな社会問題になってもまったく動じることなく仲間うちの論理で動き続ける。彼らから隠れ場所を奪うことが重要だ。そうでなければ、いくら社会問題にして批判しても、彼らは同じ事を続ける。彼らから隠れ場所を奪うことで、人々を被曝による病や死から救うことができる。
 ルポライター広瀬隆と明石昇二郎は、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大大学院教授(現在、福島県医大副学長)らを、「福島県内の児童の被曝安全説を触れ回ってきたことに関して、それを重大なる人道的犯罪と断定し、業務上過失致傷罪にあたるものとして刑事告発した」(『週刊朝日』2011年07月29日)。告発される前、山下俊一教授は記者から「発言が批判されているが」と質問され、「ご心配なく。大学が守ってくれますよ」と語った(『週刊文春』2011年6月2日)。その後、『東京新聞』に次のような記事が載った(2011年7月28日)。「原発事故に直撃された福島県で今月、脱原発団体が批判する学者や機関と県内の大学との連携の動きが相次いだ。福島大学独立行政法人日本原子力研究開発機構原子力機構)と連携協定を締結。福島県医大では『年間一〇〇ミリシーベルトの被ばくまで安全』と講演した山下俊一・長崎大教授が副学長に就任した。地元では『大学の権威で、被害の訴えが封じられるのでは』と、懸念する声も漏れている」(私は、この連携と人事は、これから自分たちが責任を問われかねない被曝被害の隠蔽と証拠隠滅のために、「原子力ムラ」が福島県の医学界を独占支配する布石ではないかと疑っている)。大学はみごとに山下教授を守っている。いっけん些末な地方大学の人事と思われがちだが、これを許すと、自分の利益と社会的地位のために人を確率的に殺す「原子力ムラ」のエリートたちにとっての「守られている」という安心感を、確固たる既成事実として確立してしまう。またこれを許さないことは、これから確率的殺害を行う「原子力ムラ」エリートたちの安心感を掘り崩すことによって、間接的に多くの人々の命を救う効果をもたらす。「原子力ムラ」の生命を維持する根本栄養素は人事である。
 原発事故による被曝の主要経路は、初期の短期的な外部被曝から、水や食物を介した内部被曝へと変わる。チェルノブイリの時も、多くの子どもたちを殺したのは、飲食物を介した内部被曝であった。食品に含まれる放射性物質は、長期低線量内部被曝によって自然の摂理を逆転させ、これから長く生きるはずだった若い命ほど死にやすく、老いているほど死ににくい、生存曲線の地獄を生み出す。
 この生存曲線の地獄をこれから日本で生み出す主役は、危険な安全基準値を設定し、汚染されたものを流通させる許可を与えて、人々の口に毒を入れる、厚生労働省農林水産省の役人たちだ。ある意味で、東電はすでに人を被曝させて数年後から数十年後(子どもの場合は数年後から十数年後)に大量の人々を確率的に殺してしまったが、これから人を殺すのは厚生労働省農林水産省だ。この前半は絶望であるが後半には希望がある。厚生労働省農林水産省の確率的殺害ははじまったばかりであり、まだ完了していないからだ。厚生労働省農林水産省を監視し、告発し、人命を軽視する政策を阻止することによって、多くの人の命を救うことができる。
 今のところ、日本の国土の半分は汚染されていない。農林水産省放射性物質に汚染されて処理に困った汚泥を肥料にして流通させる許可を出し、さらに放射性物質に汚染された肥料、土壌改良材、培土、家畜飼料、養殖魚用飼料の使用を許可した。また、環境省放射性物質で汚染されたがれきを日本中にばらまく許可を与えようとしている。これにより、まだ汚染されていない国土の半分も汚染されてしまう。しかし、これを阻止することによって、国土の半分を汚染から守ることができる。
 日本社会は、原子力発電をめぐる政界・財界・官界・学会(御用学者)・マスメディア界のエリートたちの利益と脅しのネットワークに支配されてしまっている。私たちはそれを「原子力ムラ」と呼んできたが、原子力に反対する良心的な学者や地方自治体首長などを、脅迫したり尾行したり罠にはめたり仕事を奪ったりする方法を考えれば、原子力マフィアと呼んだ方が正しい。彼ら政・財・官・学・報のエリートたちは、日本人を確率的に殺す敵になってしまった。日本人が殺されるか、原子力マフィアにのみこまれたエリートたちをその責任ある地位から放逐するか、この国の運命は二者択一になった。ここには決定的な不平等がある。彼らは地位を追われるだけであるが、私たち日本人は命を奪われる。エリートたちの社会的地位のようなくだらないもののために、私たち(特に子どもたち)は命を奪われるのだ。
 ここでは、確率的殺害という概念を以下のような意味で用いている。すなわち、これをすると、たとえば1万人のうち1人死ぬところが、1万人のうち100人死ぬことになるとわかっていて、あるいは利害関係のない第三者の専門家であれば納得のいく論理によってそれを指摘されながら、生命を守るため以外の理由でその行為を行ったり、この意志決定に関与したりした者は、確率的殺害を行ったといえる。実際に大量死の結果に至った場合、彼らは思い刑事責任を課されなければならない。
 「組織の陰に隠れていれば、名前を隠しながら、仲間うちの都合で何しても許されるということは決してない。『このわたし』の実名のもとに責任の所在があからさまになる」、という現実をつくりあげることによって、日本中枢のエリートたちから人々の命を守ることができる。
 今回の放射能汚染は日本人だけではなく、人類に対して地球規模で甚大な被害をもたらすものである。原子力マフィアに乗っ取られた日本政府はすでに対処能力を失っているので、日本は原子力関連の部分においてだけ人類に対して主権を放棄し、放射能汚染対策に特化した部分的暫定世界政府に統治された方がよい。実際的にも、福島原発事故は日本一国の能力で対処できるレベルを越えている。また世界各国に対する損害賠償も払いきれない額になるだろう。主権を放棄した方が日本の国益にもかなっている。原子力マフィアのエリートたちは、人類の名において、人道に対する罪の咎で、ニュルンベルク裁判でナチスが裁かれたように裁かれる必要がある。彼らをきちんと裁いたうえで、原子力発電についての事実を知らされてこなかった日本の大多数の非エリートの人々は、世界から許してもらう。
 福島原発事故が、これから人類がトピック限定の世界政府を形成する時代への第一歩となることを願う。たしかに全面的世界政府は危険かもしれないが、人類の歴史はトピック限定の世界政府を必要とする局面に入ったといってよい。日本社会が原子力マフィアに乗っ取られてしまっている現状では、まず何が起こっているかを即座に英語に翻訳し、世界に発信する活動が必要になる。国内では無敵の原子力マフィアも、被曝し地球を汚染された世界の怒りによって命脈が尽きるであろう。(ブログURL http://d.hatena.ne.jp/izime/


写真の『図書新聞』のタイトル部分と記事部分は、はさみで切ってから貼り付けたものです。




いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

瓦礫政策の裏にひそむ残虐な理論

わたしは、これまでの日本政府の一部の動きに対して、統計的に死亡率の差が出ないようにして福島原発事故の責任を逃れるために、瓦礫や肥料を全国にばらまく一億総被曝政策で子どもをまんべんなく殺害する意図を疑ってきた。細野豪志らの瓦礫拡散政策や農林水産省役人たちの汚染肥料拡散政策は、文字通り殺人政策ではないかと疑ってきた。
もしこの意図が立証されれば、大臣や役人や関連する者たちには死刑が適用されるだろう。




最近、わたしだけでなくクリストファー・バスビー博士もその政策の意図を主張した。


その翻訳を入手した。
http://vogelgarten.blogspot.com/2011/09/blog-post_25.html

http://megalodon.jp/2011-0926-0750-35/vogelgarten.blogspot.com/2011/09/blog-post_25.html

重要箇所の翻訳(英語→ドイツ語→日本語)

私の聞いたところによると、日本政府は汚染瓦礫を大々的に日本中に移動させ、焼却しようとしているそうです。いったいこれにはどんな理由があるのでしょうか? 皆様にお聞かせしなければならないのは、この政策の裏に潜む残虐な理論です。 子供達が心臓疾患や白血病、その他の病気で死にはじめることになったら、親達は法廷で事態の究明を求めることになるでしょう。親達が日本政府から賠償金を勝ち取るには、子供の死亡率の上昇が、高濃度の放射能汚染に起因していることを証明しなければなりません。このことを証明するためには、放射能に汚染されていない地域での子供のグループも検査して、それを確固とした証拠にしていくことしかありません。ところが目下日本政府が実行しようとしている汚染拡散政策によって、そのような証明方法は完全に不可能にされてしまうのです。まさに日本全土が破壊されようとしているのです! 全国で癌の発生率が上昇し、比較用の検査グループ形成は不可能になってしまうでしょう。


翻訳者のコメント

日本政府が瓦礫拡散で国民総被曝させ、賠償責任をうやむやにしようとしているということは、当初から私の夫もずーっと指摘してきていましたが、私にはどうしてもブラックジョークにしか聞こえませんでした。訴訟慣れしたドイツ人的理論から見たら「自明」だそうです。




いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

パブリックコメント

経済産業省パブリックコメントを募集した。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620111033&Mode=0

http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000078557

http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000078558

ウェブ魚拓

http://megalodon.jp/2011-0923-1810-00/search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620111033&Mode=0

http://megalodon.jp/2011-0923-1821-08/search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000078557

http://megalodon.jp/2011-0923-1825-41/search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000078558

その募集の卑怯なやりくちに驚く。リンクしたPDFの文章を読んで、それが誰にも具体的内容を理解できない文章であること理解してほしい。

それで、次のような内容のパブリック・コメントを提出した。

1)パブリックコメントを募集する際に、意図的に、当該担当部署の役人以外にはほとんどの日本国民が理解できないことが確実な文章で内容を提示し、パブリックなコメントが集まらないように操作している。この募集の仕方をたくらんだ経済産業省の役人を、パブリックコメント募集を妨害した咎で処分処罰すべきである。

経済産業省の主流は経済を守ることを重視し、それにくらべれば人の命を虫けら同然に思っているはずであるが、巨額の損害賠償金を要求されかねない国際関係の力学のなかで、東電を保護することは日本を不利な立場に追い込み、日本経済に壊滅的な打撃をあたえるだろう。日本経済のためにも、ヒューマニズムの偽善の皮をかぶり、東電を切る必要がある。マキャベリ的知性のエリート役人であるからこそ、現状ではヒューマニズムと経済はつぶしあうのではなく、構造的カップリングを起こすような、国際環境下にあることを冷厳に認識すべし。さらに後半で、福島原発事故にどう対処すべきかの独自のオピニオンを展開した

この私のパブリックコメントの2)のオピニオンは今までにない独自の観点から原発事故にどう対処したらよいかに関するビジョンを示している。このオピニオンは多くの人に読んでもらう必要があると思っている。



★緊急追記:経済産業省のPDFのサイトにはメイル送信先が「qqmfbe@meti.go.jp」と書いてあり、それをクリックしてマイクロソフト「アウトルック」の送信画面を開くと送信先が「qqmfbf@meti.go.jp」となる。このことは何人かの人に指摘されている。この現象を調査する必要がある:2011年9月24日午前3時37分頃確認★

このことをツィッターの指摘により知る。政府の省庁は嘘や策略に満ちていて信用できないから情報収集にツィッターは欠かせない。


ツィッターより

「募集」の綱要PDF中の意見送信先メアドはqqmfbe@〜 しかしクリックすると qqmfbf@〜と出て来る。このeとfの違いを不審に思うツイートが散見されたので経産省広報に電話確認したところ、リンクミスで別の課のメアドという説明。
それで別の課にいった意見は反映されるのかを聞くと、当該部署がfの部署にいった意見を回収するようにする、という説明。これが締切日当日の話。他にも何人か確認の電話をした人がいたようですが確認なかったら反映されたかは不明。また、本当に反映されているのかも…

仮にも広報が「リンクミス」と言った点が気になるんですよね。だいたい普通こんな公式なものでメアドの表示が非常に判別しがたい形で変わる、ということはあってはいけないと思いますが。ミスとみとめつつそのことに対する公式の説明がウェブ上にはいまだにないですし。

もともと募集文が集まらないように仕組まれた募集であるとしか考えられないような募集内容でしたが、これが作為だとしたらとんでもないことです。ミスのプロセスの検証もしなければなりませんね。作業中にそういう部署の意向が疲れた頭に作用したのか、露骨な作為か?

なにしろ日頃の行ないが行ないだけに作為を疑ってしまいますよね。「他の部署に行った意見も回収する」といいながら、その回答は明文化されていないので、「うっかり忘れた」とかそんなことを平気で言いそう…。当該役人の心境に立ってプロファイリングするとやりかねないですね

日本はここまで壊れてしまったかと驚いた。

警察が平和的なタイプのデモに対して暴力をふるうようになった。

どう考えても、デモをしているひとたちは、非合法活動を指向する「反社会的集団」ではなく「素人」だ。

日本はついに政治的自由に関して中東諸国や中国やミャンマーと同レベルに転落してしまった。

この情報を世界に広める必要がある。世界のメディア・ジャーナリストにすぐに情報提供を。国連の人権機関にも、アムネスティ/インターナショナルにも、世界中の人権関連機関にすぐに通報を。この画像を世界のトップニュースに。

アドレスをクリックして以下の写真を見ていただきたい。

http://bmkimages.photoshelter.com/gallery-image/9-11-Anti-Nuclear-Protest/G0000Ngv_w1kzWQw/I0000hDGInHoQ32A
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上記動画のコメントより

このとき逮捕されたのはフランス人のフランクさん。警察は防護服­をはぎ取ってビックリ。もう一人の防護服はフランクさんの奥さん­。奥さんはフツーの日本人。奥さんも拘束されちゃった。二人の婦­人警官にこの後羽交い締めにされ、「どうして脱原発が犯罪者なの­!!」と抗議。すると、在特会の男性に腹を蹴られたんだ。婦人警­官は見て見ぬふり。奥さんが言うには、腹を蹴った犯人の顔は判ら­ないけど、服装は覚えているとのこと。また、この動画は各国語に­訳されて世界に出廻る予定。いま、有志が動いてるみたい。

110913デモ逮捕者フランク夫妻インタビュー
http://www.ustream.tv/recorded/17246228



法律家たちは「救援」して終わりではなく、法正義の側から犯罪者たちを刑事告発しなければならない。
何もしていない人に暴行を加えた警察官と右翼は犯罪者であり、きちんと裁かなければ法秩序が壊れる。
警察が組織的な犯罪を行っているとすれば、警察の組織そのものに大きなメスをいれなければならない。
警察は、法秩序の維持のために重要な組織であり、それゆえ遵法性がもっとも厳しく要求される。厳罰によって警察の遵法性を守らなければならない。それは社会にとって大切な警察を腐敗から守ることでもある。







右翼に挑発させ逮捕。警官が捕まえた女性の腹を右翼が蹴る。女性が「蹴られたんだけど何もしないの?」と言っても、何もしない。
これは、民族紛争やエスニッククレンジングの時によくある警察の腐敗。たとえば、ナチス時代にドイツ人がユダヤ人を殴っている横でドイツ人警官がニヤニヤ笑いながら見ている、といったタイプ。
日本の警察がそこまで腐敗してしまった。
このままにしてはならない。これを放置すると、あとは日本が坂道をいっきに転げ落ちるだけだ。警察をこれ以上腐敗させてはならない。



ここに示した暴行警察官と指示した責任者を特定し刑事告発する法律家のグループが必要になる。これをすることで、警察も腐敗を免れる。警察の改善のためにも、膿をださなければならない。このままでは日本はミャンマーのような国になるのではないかと危惧する。世界中に告発する必要がある。

警察は法を犯す者を取り締まる組織だ。オウムや暴力団や右翼左翼の非合法活動集団を温存し、平和的な「素人」のデモに暴行する警察を正常化しなければ、日本は法治国家でなくなり暴力団国家になる

それにしても、日本がここまで落ちぶれたかと思うと、なさけない。

東電は警察の天下り先でもある。

日本の美しい自然や安全だけでなく、自由と民主主義の社会としての日本をここまで破壊した原子力マフィアは滅ぼさなければならない。




読売新聞はこれをどう報じているか

脱原発デモで12人逮捕、機動隊員暴行などで

 東京・新宿で11日に行われた「脱原発」を訴えるデモで、警備中の機動隊員に暴行を加えるなどしたとして、警視庁は同日、デモの参加者の男11人を公務執行妨害の疑いで、デモを主催した「素人の乱」の二木信容疑者(30)を都公安条例違反の疑いでそれぞれ現行犯逮捕した。

 発表によると、男らは11日午後、東京都新宿区の路上で、警備中の機動隊員らの顔を殴るなどした疑い。二木容疑者は規定に反し、車道で行進していたデモの隊列を歩道にまで広げた疑い。

 JR新宿駅周辺で行われたこのデモには約2200人が参加し、「原発はいらない」などと訴えた。

(2011年9月12日00時20分 読売新聞)

読売新聞HP
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110912-OYT1T00004.htm?from=main7
より(2011年9月12日取得)


 読売新聞はここまで腐っているのかと驚く。
 ほんとうに読売新聞を買うのはやめよう。
 読売新聞は日本で生活する人々の敵だ。

 
原発・正力・CIA』という本によれば、今ある読売新聞を創った正力松太郎は、「ポダム」というコードネームをつけられたCIAのエージェントだったそうだ。

原発・正力・CIA: 機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書)

原発・正力・CIA: 機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書)









それにしても、今なら市井のおじさんおばさん市民がデモを楽しむようになったからといって、昔のような右翼や左翼が増えるとは思えないのに、警察は明らかに税金をどぶに捨てて暴力犯罪を犯している。原発事故の後右翼と左翼の論点抱き合わせセットも崩壊した。
むしろ、非道なことをしかけて、「じゃあこちらも暴力で」という反応を引き出して、昔ながらの暴力左翼を育成しようとしているのではないかとすら思われる。
 少年時代を思い出した。学校ぐるみで教員による非道な暴力をはびこらせていた愛知県立東郷高校に、思い通りにならない息子を憎んだ父親によってむりやり放り込まれた。遵法意識が高い少年だったわたしは、教員たちによって繰り返される暴力犯罪を警察(愛知県警和合警察署)に通報しに行った。すると、警察官は、「先生を警察に訴えるなんて、よくないことだ。そんなことをしていると、左翼になってしまうぞ」と言った。
 わたしは法という社会の枠ががらがらと崩れ去るような崩壊感覚をおぼえた(実はそうではなく、和合警察署の警察官が犯罪を放置する不正行為を行っていただけで、法によってその警察の放置行為も追求しなければならなかったのであるが、少年時代のわたしにはそこまで考えることができなかった)。
 そしてその後、わたしは本当に、国家権力と警察を憎む左翼少年になってしまった。もちろん20歳までには左翼はやめていたが、あのとき警察がきちんと暴力犯罪者たちを取り締まっていたら、ナイトー少年は決して左翼にはならなかったであろう。こういう若気のいたりは思い出すだけでも恥ずかしい。少年時代については『〈いじめ学〉の時代』で書いた。社会の不正に傷ついた少年がどのように左翼になるのかの参考文献として、警察の方々に失敗事例として活用してもらいたい。

“いじめ学”の時代

“いじめ学”の時代

 若者や不全感にとりつかれた人たちを左翼や右翼、その他有象無象の非合法活動に違和感のない勢力にしないコツは、きちんとした法治社会であることを社会がきちんとした行動で示し続けることだ。警察の非道な暴力は、人々の遵法意識を破壊するという副作用をおよぼす。
 今回の警察の愚考は、干からびて絶滅寸前の昔ながらの左翼勢力に甘露の慈雨をふらせた結果となる。

 もし、昔ながらのわっしょいわっしょいの「戦闘的」「革命的」なデモではなく、市井のおじさんおばさん市民が穏やかなデモを楽しむようになったら、昔ながらの「戦闘的」左翼勢力は、生態学的ニッチ(繁殖のための特殊な領域)を失って息の根を止められていたはずである。警察は暴力刺激によって、昔ながらの構図を維持しようとしているのではないかとすら思う。


昔のわっしょいわっしょいデモがすたれて、市井のおじさんおばさん市民が穏やかなデモを楽しむようになったとき、日本社会はまたひとつ成熟したといえる・・・という意味でも、わたしは「左翼−右翼」とは無関係の穏やかな市民デモの流行に期待していたのだ。それを警察が元に戻そうとした。 


黴の生えたような文献をほじくりだしてみよう。カール・マルクスは、「階級意識が低い」労働者が官憲や資本家などの非道暴力不正を身に受けて苦しむ体験のくりかえしを「プロレタリアートの学校」と呼んだ。「プロレタリアートの学校」によって、革命のためならどんな非道も厭わない鍛えられた鉄のプロレタリアートが育成される、というお話しである。警察は社会防衛のためにそういう「反社会的勢力」を生み出さないようにするのが職務ではなかったのか。いまどき「プロレタリアートの学校」(の過激バージョン)などそうそうあるものではない。今回の警察の暴力が、最悪の「プロレタリアートの学校」にならないことを祈る。


わたしは、昔ながらの左翼と右翼はどちらも全体主義的であり、消滅すべきであり、より成熟したリベラルの独立勢力が大きな政治勢力にならなければならないと主張してきた。それについては『いじめと現代社会』の右と左の論点抱き合わせセットの弊害の部分(111〜112ページ)を参照していただきたい。

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

原発事故は、右と左の論点抱き合わせセットを吹き飛ばす大きなインパクトを与えた。警察の暴力刺激による「プロレタリアートの学校」などで、それを復活させてはならない。

原発事故に関しては、旧来の政治的な図式ではまったく手も足も出ない。右でも左でもない新しい先進国型の政治勢力が担い手にならなければならない。まともな先進国であれば、右翼も左翼も力をもっていない。ほとんどすべての国民は右翼でも左翼でもなく、市井のおじさんおばさん市民が穏やかなデモを楽しんでいる。それが「普通の国」である。








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★論点抱き合わせセットに関しては
http://d.hatena.ne.jp/izime/20090527/p1
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 東電は警察の天下り先でもある。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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