ある「報道祭り」について

イエスの方舟の人々に対する迫害を、原罪として記憶にとどめるべきだ。最近も、同じあやまちが繰り返された。
最近繰り返されたあやまちとは・・・?
まず、下記の拙稿を読む前に言い当ててほしい。
いったい、どれほどの人が、言い当てることができるだろうか。

「日本社会の実態を暴く『嘆き』の書」日本は、自由と民主主義、人間の尊厳、人権、法の支配、こういった先進国の「基本セット」で骨組みができているはずである。ところが、である。昭和天皇が死去したとき、「自粛」に従わない者や、「不敬」と受け止められる意志表明を行った者は、それだけのことで、包囲され、追跡され、迫害された。法治国家の「はず」の日本で、それが野放しにされた。このことが、日本という社会の「基本セット」が液状化しており、なにかの拍子に、もろくも崩れ去りかねないことを示している。
しかし、天皇というおおっぴらな「象徴」よりも、もっとあいまいで、存在の肉襞にうめこまれた「聖なるもの」があり、それが通用しない「きもちわるい」生活様式に対する憎悪が、わが国を「空気」で支配する愚民たちの暴走をひきおこした。他人に危害を加えたわけでもなく、法に触れているわけでもない成人たちが、「たかが」おおっぴらに家族を否定して共同生活をはじめた。それだけのことである。ところが、その罪なき人たちを、日本中が包囲し、追跡し、世をあげて迫害した。マス・メディアが名誉毀損の報道祭りをはじめ、法に従い価値中立的でなければならない「はず」の司法機関が、逮捕状を出した。なんともお粗末な社会である。
それが、イエスの方舟事件である。この事件は、わたしたちの生活が積み重なって社会が刻々と生成される刹那刹那に、たえず痛みと共に思い起こすべき原罪である。
この原罪から、もういちど自由だの人権だの法の支配だのといった、「基本セット」を確認し、社会にしっかりと定礎させる作業にはいらなければならない。
芹沢俊介氏は、本書で、イエスの方舟に集う人たち、それを憎む人たち、追いかけ回す人たちについて、興味深く描いた。この本は、一見、イエスの方舟関係者たちの心の壁を描いた本のように見えるが、実は、私たちの社会がどのように成り立っているのかを描いた、嘆きの書なのである。
『春秋』2008月7月号、通巻500号、春秋社

山本モナさんに対してテレビ・雑誌系マス・メディアが行った包囲、追跡、迫害は、記憶にとどめるべきだ。
わたしは、メディア各社は謝罪広告を出し、責任者の処分を行うべきだと思う。
また、山本モナさんが希望するなら、弁護士の有志がグループをつくり、メディア各社の経営に打撃を与える程度の制裁的な損害賠償金を請求する裁判を起こすべきだ。


現在、メディア各社が個人のプライバシーに関するどんなひどい報道をして裁判で敗訴したとしても、その賠償額が低すぎて、何の効果もおよぼさない。この低すぎる賠償金額は、法の不備である。