「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策

原宿新聞に掲載された、内藤朝雄さんのインタビュー記事です。



「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策
日を追うごとに深刻の度を増す、連日のいじめ報道。だが問題のあまりの根深さを前にして、我々大人が口にできることといえば「命を尊重する教育を」に代表される手垢の付いた反省、実効性の疑われる対策ばかりだ。
 いじめをめぐる言葉が10年、20年前からなんら変わらない状況に半ば絶望を覚えながら、著書「いじめの社会理論」などで具体的提言を続けるいじめ問題研究者・内藤朝雄氏(写真=明治大学助教授)を訪ねた。「現状の学校制度を根本から変えない限り、いじめによる自殺はなくなるはずがない」と説く、内藤氏の主張とは。


―――こうした悪質ないじめが発覚すると、必ず起こるのが「最近の子どもたちはどうなってしまったのか?」という戸惑いの声だ。彼らが行っているいじめは、本当に我々が子供の頃にあったそれとは異質なものだろうか?

「まず断っておきたいが、悪質ないじめは時代に関係なく、閉ざされた濃密な人間関係の中にあっては必ず起こる。戦時中に集団疎開した世代が経験したいじめがいかに陰湿なものだったかは、彼らの回想録、文学作品などには克明に記録されている。現代の子ども特有の現象では全くない」


 ―――いじめへの対処をめぐっては、道徳教育やスクールカウンセリングの拡充などがここ20年以上議論されてきたが、効果が上がったようには見えない。では、我々は一体何をすべきなのだろうか?

「いじめの対処法は大きく分けて二つしかない。暴力を伴ういじめに対しては、市民社会における当然のこととして法システムに委ねる。すなわち警察や弁護士を学校に介入させる。私の知る限り、ほとんどのいじめは安全確認が済んだ状況で行われ、多大なリスクを覚悟してまで実行されることはない」

「一方、『シカト』や『クスクス笑い』といったコミュニケーション操作系のいじめは、警察に任せることはできない。また教員の能力にも個人差がある以上、現行の学校制度の枠内でベストを尽くすといっても限界がある。だとしたら、学校制度そのものを根本的に変えるしかない」

―――具体的にはどのようなことか?

「学級制度の廃止だ。この制度自体は他の国にもあるものだが、日本ほど人間関係がタイトで、一つの空間に同じ集団が朝から夕方まで押し込められる例は他にはない」

「あなたの子どもがクラスの誰かから人としての尊厳を踏みにじられるような行為を受けたとする。だが、こうした閉ざされた人間関係にあってはその子は無理に心を屈し、嫌われない努力をするほかない。『迫害してくる相手とは適度に距離を置く』という、一般社会では誰もがやっている心の調節を、子どもにだけ許さないのが現在の学級制度だ」

「本来、机を並べる相手は授業ごとに違っていていいし、いつもの教室で決まった相手と食べる給食ではなく、カフェテリアで気の合う相手と食事をするスタイルでもいいはずだ。部活動にしても学校に頼る必要はない。ドイツなどが典型だが、子供たちはスポーツや文化活動も学校とは別の地域クラブに所属して行い、そのたびに人間関係のバリエーションを増やしている。これに対しクラスという枠に固定され続け、ほとんどその範囲内でしか人間関係を選べないのが日本の子どもたちの現状だ」

「たまたま同じクラスに振り分けられたというだけで課せられてしまった、理不尽な人間関係から子どもを開放する必要がある。それぞれの子が、自分にとってより適切な人間関係を選ぶだけの選択の幅があれば、自殺にまで追い詰められるような危険な人間関係に甘んじる必要はなくなる」

―――これまでもいじめの問題が何度も取り沙汰されながら、学級制度という仕組みを動かすことに目が向かなかったのは、なぜだろうか?

「学校という場所を必要以上に神聖視しすぎた結果だろう。市民社会において人命以上に尊重されるべきものはないはずだが、ある種の『教育系』の人々のあいだで、人間の尊厳や人命以上に、『教育』そのものが重要な価値になってしまっている。だから暴力に対しては警察に任せる、迫害の加害者には損害賠償をするといった、市民社会では当然のルールが学校に限って適用されないまま良しとされてしまう。だがそのことにより、いじめの温床となる閉鎖空間はますます強固に維持されていく」

―――いじめによる自殺や、自殺予告が毎日連鎖的に起こっている。渋谷区も今やその当事者だが、このような状況をどう考えるか?

「教育が神聖視されるあまり、『加害者を罰する』という当たり前の仕組みができていないためだ。そのような状況では、いじめられる者のなけなしのプライドは自殺という方法でしか訴えの形を取れない。実際自殺する子の多くは、加害者を司直の手に引き渡すことを思いもしないまま死を選んでいる。
 だが、いじめを放置した担任教師が厳正に処罰され、加害少年に責任を取らせる制度が確立されたならば子供たちのエネルギーは自殺には向かない。生きて彼らを告発することに向かうはずだ」



“いじめ学”の時代

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