天皇の象徴責任論

拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.132-135 (初出は『図書新聞』2006年9月2日号)

天皇の象徴責任論

 前項では、プリミティヴな感情の憑依(ひょうい)の論理がそのまま、機能分化した社会に必要不可欠な普遍性や超越性に接続しうる「半」普遍・「半」超越の仕掛けとしての、アッパー系天皇を論じた。
 それは列強に侵略される立場であった日本を植民地にしないために、維新エリートが民衆に撒布したいわばアッパー系のドラッグであった。この心理-社会的なドラッグはその後、(とくに昭和の初めから昭和20年代の敗戦まで)制御不能な仕方で暴走し、日本社会に壊滅的な害をもたらした。
 それはかつて猛獣に狩られる立場だった人類が緊急避難のために血圧や血糖値やホルモンを急激にアップさせる適応システムが、現代人に成人病による死をもたらすのに似ている。
 明仁天皇は、この(いまとなっては)百害あって一利なしのアッパー系天皇を、時代に適合した別のタイプ、つまりダウナー系の天皇に変えようとする努力を続けてきた。
 また、天皇という象徴が悪用されるときに生じる公害ともいうべき破壊作用(象徴公害)に対して、それを阻止する象徴責任を果たしてきた。
 まず天皇の象徴責任について述べよう。明仁天皇が政治的に動くときと動かないときの動静強弱の輪郭をたどることによって、そこから首尾一貫した天皇の倫理的責務のありかた、つまり天皇の象徴責任という概念を打ち出すことができる。
 明仁天皇は、発言を求められたほとんどの場合、政治的な発言をしないという本則に従っている。たとえば女性天皇を認めるかどうかといったことは、天皇の存在様式に関わるきわめて重要なことがらあるにもかかわらず、その是非について彼は一言も発しない。自分や妻子の私生活に対する一部の低級誌の下品な報道にさえも耐えている(下品ネタ報道に関しては「政治」とは別枠で私人として告訴してもかまわないと私は思う)。これは驚くべきことであるといってもよい。それほど本則は堅く守られている。
 だが、本則に対する例外となるひとつの場合において、彼は政治的立場を明確にする。
 つまり、天皇という象徴を悪用して憲法秩序を破壊したり、暴力を正当化したり、人びとを戦争やテロに危機に曝(さら)したりする勢力が通常の歯止めを突破して拡大しつつあるとき、その場合に限り、彼は天皇象徴の悪用をなしがたくするための効果を狙った政治的発言をおこなう。つまり、言語行為としては、「このような天皇象徴の悪用はやめてください」という抑止のメッセージを発する。
 明仁天皇が象徴責任を果たしてきた軌跡をたどってみよう。
 父裕仁天皇の死の前後に、右派勢力のネットワークを背景に、実質的な自粛強制の嵐が社会を覆いつくした。この瞬間、日本国で自由は失われていた。そのとき控えめながら、この自粛強制の暴走をやめるように発言したのが彼であった。
 明仁天皇は、「国民と共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界平和、人類の福祉の増進を切に希望して止みません」と所信表明をしながら立った。
 裕仁天皇に戦争責任があると発言した本島等(もとじまひとし)元長崎市長が狙撃されると、明仁天皇は、天皇の問題も含めて言論の自由があると発言した。
 東京都教育委員の米長邦雄の「日本中の学校に国旗を掲げ、国家を斉唱させるのが私の仕事です」という発言に対して、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と切り返した。
 また、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本書紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」という発言をわざわざおこなう意味は、右派が天皇象徴を偏狭なナショナリズムに位置づけるのを阻止するということである。これは右派勢力に対する婉曲な牽制である。
 右派が許容限度を超えて力を伸ばしている危機的現状に対して、明仁天皇は、もはや控えめではない、はっきりした発言をするようになってきている。

 「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までは、ほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、また日本人が世界の人びとと交わっていくうえにも極めてたいせつなことと思います。戦後60年に当たって過去の様ざまな事実が取り上げられ、人びとに知られるようになりました。今後とも多くの人びとの努力により過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています」(2005年12月19日)

 「そのような(昭和の初めから終戦まで…内藤注)状況下では、議員や国民が自由に発言することは非常にむずかしかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう、日本の今後の道を進めていくことを信じています」(2006年6月6日)

 ここでいう「昭和の初めから昭和20年代終戦まで」とは、アッパー系の天皇に酔いしれた右派勢力が日本社会を牛耳ったピークの時期である。上記の天皇発言は、「右派勢力に天皇象徴を利用させない!」という強烈な反右派宣言である。彼が強い危機感を抱いていることがうかがえる。
 明仁天皇によるこの画期的な反右派宣言を、新聞・雑誌・テレビ各社がそれほど大きくとりあげなかった(そのように軽重を意図的に取捨選択した)ことは、非難に値する失策である。これを大々的に報道することは、右派勢力の力を弱めるチャンスになったであろう。マス・メディアは明仁天皇が投げたボールを拾い損ねた。
 これまでの明仁天皇の軌跡から、天皇の象徴責任という概念を次のように定式化することができる。
 すなわち、天皇は原則として政治的な発言をしない。しかし、(天皇象徴をこんなふうに用いなければこんなひどいことにはならないであろうと思われる)天皇象徴の危険な悪用に対してのみ、天皇象徴をこの身に具現する職にある者は、それを阻止するべく積極的に発言する倫理的責任を有する。これが天皇の象徴責任である。
 もしこれからも天皇制度が存続するとすれば、明仁天皇が範を垂れたところの、象徴責任を負う天皇の倫理規範は、伝統として古い歴史に読み込まれつつ、これからの天皇像に新たなルールとして埋め込まれ、代々受け継がれるべきであろう。明仁天皇のような人物が代々天皇になるとは限らないのだから、将来に向けて天皇の象徴責任を皇室の伝統規範にしておく必要がある。
 ところで、北朝鮮による拉致や核開発やミサイル発射や対日ミサイル基地の衝撃を栄養源とした右派勢力の大繁殖が危惧されるいま、明仁天皇がさらにキーパーソンとして表舞台に出てくる可能性がある。リアルポリティクス上、北朝鮮が危険な敵であればあるほど、右派(そして右派と左派の論点抱き合わせセット)に日本の舵取りをさせるわけにはいかなくなる。あの悪の王朝と本当に有効な仕方でたたかわなければならなくなったとき、日本の政治の担い手から、右派を退かせなければならなくなる。もはや安全に右派を飼っておく余裕がなくなったとき、日本の良識たちが右派を抑える仕事を始めるだろう。

                 (2006年9月2日)

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

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