“熱中高校”って、なんだ

1981年、『ひと 2月号』(太郎次郎社)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。愛知県立東郷高校における「管理教育」についての、渾身のルポです。(この文章は『〈いじめ学〉の時代』柏書房)に収録され、さらに当時の教員との対談や、新たな考察が付け加えられた。)


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?熱中高校?って、なんだ 〜愛知・東郷高校で何が行われているか〜 内藤朝雄



■はじめに
ぼくが高2までかよっていた愛知県立東郷高校は、1968年、現・仲谷愛知県知事が教育長のときに“新設校プラン”のモデル校として創立された。愛知県の県立高校は、大別して、新設校と既設校というふうにわけてよばれていて、東郷高校以後にできたのは新設校、それ以前からあったのは既設校というわけだ。そして、それ以降につくられる新設校は東郷高校を手本にしてつくられている。
その東郷高校で、どんな教育が行われているのか、ぼく自身の体験と同級生や下級生からきいた話をまとめてみたいと思う。こんな学校が、愛知県だけではなく、全国に広がりつつあることに腹がたつからだ。


■すべて集団で統一
東郷では、授業のはじめと終わりに起立・礼をして、そのときに「お願いします!」「ありがとうございました!」と叫ばされる。英文法の授業のはじまるとき、こんなことがあった。みんなが「お願いしまあす!」と叫んだとき、急に教師がおこりだした。「おまえら、“お願いしまーす”とはなんだ」。こうしてこの教師は、「お願いします」の「ま」と「す」の間隔があいたのが気にくわんというだけで、1時間えんえんと説教をつづけ、授業をつぶしてしまった。
入学してからしばらくは毎日オリエンテーションがつづけられる。オリエンテーションでは、応援の型、校歌、応援歌、東郷賛歌、集団行動の練習、そして、髪の毛や靴下の色やことばづかいなど、もろもろの東郷高校で生活するための“形”を植えつけられる。東郷の教師たちは口癖のように、「ものごとは形からはじまる」と言って、なんでもかんでも同じにしなければ気がすまないらしい。
靴下の色は男子は無地の黒、女子は無地の白。つめえりの学生服の下は白のカッターシャツボタンダウンのシャツは許されない。頭髪はたてまえとしては長髪または丸刈りとなっているが、1年生の90%は教師の指導によって坊主刈りにさせられてしまう。長髪といっても、後ろ半分がつるつるの極端な刈り上げだ。もちろん、パーマ、ウェーブなどはいっさい許されない。そのほか、ありとあらゆる生活のスタイルが統制されていて、したじきに人気歌手の写真をはさんでいただけでなぐられた女生徒もいる。
「10分間清掃」のときは、授業が終わると、生徒は整列して教師を待つ。教師が来ると、班長が番号をかけ、一歩前へ出て、「○年△組、総員×名、異常ありません、確認します!」と叫んでまた点呼。そして、例のあいさつ。「お願いします!」「ありがとうございました!」。
応援練習では、生徒に間隔を少しとって整列させ、応援部員の生徒が手本を見せる。「ウォッス!」「ウォッス!」「フレーッ! フレーッ! 東郷!」。みんなはそれに合わせていっせいに演技をしながら、「フレーッ! フレーッ! 東郷!」と叫ぶ。そのとき、教師たちは生徒の間を歩きまわり、声の小さいのや動きの鈍い生徒をなぐったり、蹴ったり、えり首をつかまえてまえへひきずりだしたりするのだ。
集団行動訓練の1例としてマルトウ(東という字を○で囲った記号)訓練というのをあげてみよう。クラスごとに運動場に整列して点呼、あいさつ。つぎに室長がクラス旗を持って運動場のあちこちに走って行き、そこで「○年△組、集合!」と叫ぶ。その叫びが終わるか終わらないかのうちに全員はダーッと全力で室長のところへ走っていき、整列、すぐ点呼。これを1時間中くりかえすのだ。
あるとき、教師は集団行動訓練のときに全員のまえでこんなことを言った。「おまえらは入学すると同時に、自動的に“予備隊”に編入されている。予備隊では東郷町で災害があったりしたとき、救助活動などをするから、こころしてかかれ」。
「心のふれあう教育」を自称する東郷教育。しかし、なんのことはない、内実はただのつめこみ教育で、丸暗記が主になっている。いつも授業中に1人ずつ順番に当てたり、小テストをしたりして暗記したかどうか確かめる。また、1日中、机にしがみついtていないとできないような宿題を毎時間のようにだし。
そして、暗記してこなかったり、宿題をやってなかったりした生徒はなぐられたり、正座させられたり、廊下に出されたり、いついつまでに職員室に来て暗唱しろとか言われたり、罰として大量の宿題を出されたりする。そのために、数人を除いて全員正座で授業をしたり、授業中に10〜20人ぐらいの生徒が廊下で正座していることもしばしばだ。また、呼び出しを受けた生徒のために、いつも職員室には生徒がいっぱいいる。
教師に罰を出されるようなときに、生徒は自分から罰を言いださないと、もっとひどい罰を受けるから、「坊主にします」とか、「1週間、毎朝、先生の下駄箱の掃除をします」とかと言わざるをえないのだ。
夏休みには4日間の学習合宿がある。ぼくは参加を拒否したが、友だちの話によるとこういう内容だ。生徒は強制的に部屋に閉じ込められて、1日に12時間ぐらい勉強させられる。教師は竹刀を持ってウロウロし、寝ている生徒がいると水をかけたりする。休憩は4時間ごとに30分あるが、その時間以外はトイレにも行かせてもらえない。ぼくの友人は「こんな状態で勉強できるはずがない」とこぼしていた。
夏休みは、林間学校やら出校日やら草取り作業やら部活動やらいろいろあって、実際に休めるのは20日弱だ。それも1年生のことで、2年生からは補習授業が加わるから、もっと少なくなる。出校日には宿題のチェックがあて、やっていないと正座や草取りが待っている。


■東郷の元服式−−林間学校−−
「林間学校は東郷の元服式だ」と教師たちは言っている。1年生の夏休みにわざわざ長野県まで出かけていって、何日も軍隊まがいの生活を送らせるのだ。それだけではなく、林間学校の練習というのまでやらされる。飯づくりの練習というのをやらされたこともあった。太陽がかんかん照りつける日、みんなは運動場に集められ、説教がはじまる。
「お願いします!」「これから飯づくりの練習をする。ところで、ひとこと言っておくが、絶対に水を飲むんじゃない。みんなノドが乾いてもがなんしてるんだ。それを自分だけ水を飲もうなんてかってなことを考えてはいかん!」「ありがとうございました!」
全員、学校の裏のあき地へ行って穴を掘り、薪を運んで火をつけ、飯とカレーを作った。煙のために咳がでてたまらない。顔はすすで真っ黒けになり、ガンガン照りつける太陽のために頭はフラフラする。水が飲みたい!しかし、目の前には水道の水がありながら、教師が見張っていて飲めない。まるでおあずけをくらった犬みたいだ。そして、数人の生徒は水を飲んで教師に殴られ、みんなのみせしめになった。
さて、林間学校の当日、ぼくたちは名古屋駅に集合した。そこで「フレーッ! フレーッ! 東郷!」と叫んで手をたたかなければならない。それから校歌も歌わされる。通行人がめずらしそうに見ていく。みんなとても恥ずかしそうだった。電車のなかでは寝てはいけない、薄っぺらい林間学校のしおり以外、何も読んではいけない、だれとも話してはいけないということになっている。それを破った生徒は、教師に呼ばれて、「指導」される、たっぷりと。
電車から降りると、整列して、エールをし、校歌、応援歌を歌わされる。東郷高校を賛美する歌詞が勇ましいメロディとからまりながら1人1人の心にしみこんでくる。みんな元気いっぱいに大声をあげていた。
電車から降りて、宿舎まで2列縦隊で行進する。駅から宿舎まではすごく長い距離だ。行進しているあいだ、1人1人、順番に「フレーッ、フレーッ、東郷!」とかけ声をかけ、全員が同じことを叫ぶ。宿舎に着くと、教師がかわるがわる長ながと説教。そして、やっと部屋にはいる。教師はひっきりなしにみまわりにきては生徒を「指導」しに連れ去っていく。その部屋は「黒百合の間」と言われ、生徒から恐れられている。水道の水は飲んではいけないことになっているが、のどが乾くから、多くの生徒がこっそりと水を飲みにくる。彼らは水道のところで待ち伏せしていた教師に捕まった。
朝早く、笛がピーッと鳴ると起床だ。笛の音と同時に全員サッと起きあがり、顔も洗わずに走って、宿舎のまえの広場に集合。「1! 2! 3! …」「○年△組、総員×名、異常ありません! 確認します!」。遅れた生徒はまえに立たされ、あとから呼び出しを受けて「黒ゆりの間」へ。こうして林間学校の1日が始まる。
食事のときは蛾のさなぎとかバッタのつくだにとかが出て、それをぜんぶ食べなくてはならない。魚の骨もむりやり食べさせられる。皿に汁が残っているとしかられるので、皿をなめるとか、こんにゃくでぬぐうとかしなくてはならない。食事は全員、大部屋で食べる。
その大部屋にはステージがあって、教師に捕まった生徒たちが、捕まったときにしていた動作を再現させられて、「私は○○しました。どうもすみませんでした!」と叫ばされる。電車のなかで新聞を読んでいた生徒や遅刻した生徒などがつぎつぎと恥をさらした。みんなは「友だち」の恥辱をさかなに大笑いしていた。
女生徒数人が恥ずかしそうにステージのうえにすわった。そして、「私たちはこんなにひわいな格好ですわっていました。どうもすみませんでした!」とでっかい声で叫んだ。でも、ぼくが見たところ、べつにひわいでもなく、普通の格好だった。あとから彼女たちに聞いてみたところ、女すわりでないすわり方をしていたら、教師に指導されたということだった。
東郷高校では、ちょっとした場所の移動はほとんど隊列行進でやる。山登りのときもそうで、1人1人、順番にエールを叫んでいった。ぼくはそれがいやなので拒否した。すると日ごろ温和なクラスメイトがぼくの頭をぶん殴った。ぼくはびっくりした。「みんながやっていることをやらないのはよくない」ということなのだ。
とにかくみんな体力を消耗し、教師を恐れ、肉体的にも精神的にもヘトヘトに疲れ切っていた。それが最高潮に達した最終日の夜、キャンプファイヤーがあった。美しい星空の下、森の木々がまわりに茂り、かすかに川の音が聞こえる。広場の中央には巨大なファイヤーがごうごうと燃えていて刺激的だ。
教師たちは上半身裸になり、火を囲んで、足を開き、手をふりまわしながら「エッサッサー、エッサッサー!」と叫んで走りまわる。それにつづいて男子生徒が上半身裸になって、「ウォーッ、ウォーッ!」と叫びながら、走り出した。
それからものすごく大きな音で東郷音頭というのが流れてきて、みんなは輪になって狂ったように踊りつづけた。まるでロック・コンサートのような巨大な音だ。ぼくは頭がボーッとしてきた。みんなはヘラヘラ笑いながら放心したみたいに踊る。ほんとうに異様な顔つきをしていた。顔の筋肉がゆるみきっていて、笑っているのだが、まるで生気がない。ヘラヘラヘラヘラと笑っている。
ぼくもなんだかへんな気分になってきて、一瞬、「東郷が正しいんだ。いままでのぼくがまちがっていたんだ」という気が起こった。ぼくはおそろしくなってきた。
最近の東郷高校では東郷音頭のかわりにロックを流して生徒を踊り狂わせる。生徒たちは何回もアンコールと叫び、興奮して教師を胴上げするという。

 

■熱狂的な行事
東郷高校では学校行事が息をつくひまもないくらいにたくさんあって、1年中、学校行事とその練習をやっているか、テストのために暗記をしているかで、ほかのことと考えるひまがない。最初は教師がむりやりやらせて、さぼったりしたらぶんなぐる。そうしているうちに、生徒たちは極端に熱狂してきて、教師とともに泣くこともある。
そのうえ、怠慢な生徒をほかの生徒たちが寄ってたかって圧迫することもある。たとえ露骨に圧迫しなくても、みんなが大声をはりあげているときに、自分だけ黙っていることは、いいようのない恐怖と罪悪感を感じてしまうものだ。
学芸会のような行事では教師たちはよく滑稽劇をやる。それをみて、生徒はよく笑う。「ゴローを泣かすな!」という劇画であった。ゴローというのは伊藤吾郎という学年主任の教師の名まえだ。東郷では教師を敬称なしに呼んだら、当然なぐられるが、こういうときだけは許される。
この劇のストーリーはこうだ。生徒の成績が悪くて、3年の学年主任のゴローは進路指導に悩む。彼は「オレは泣きたいよ」とあわれっぽく叫ぶ。それで、生徒たちは「先生はあんなにぼくたちのことを考えてくれているんだ」と感激する。そして、出演者全員で、ゴローを泣かすな! ゴローを泣かすな! とシュプレヒコールをして幕。生徒たちはみんなでっかい声で大笑いする。教師の一挙手一投足に満場からの大爆笑がまきおこる。また、教師たちは衣装をつけてピンクレディのものまねを踊ったりする。そのときの爆笑は「ゴローを泣かすな!」どころのさわぎではない。
ところで、東郷の教師はとてもうよく泣く。ぼくの友人のAさんが男女交際がばれて「指導」されているとき、教師が「オレはおまえを信じていたのに、裏切られるとは!」と言って泣きだした。また、あるとき、3年生の模擬試験の成績が悪かったので、教師たちは全員を武道場に集めて正座させた。そして、「おまえら、やる気がない、たるんどる」とかいうことを入れかわり立ちかわり説教した。興奮しすぎた教師たちが「オレはなさけないぞ!」と叫んで泣きだした。それにつられて多くの生徒も泣いたという。
体育大会になると、生徒は各クラスごとにでかいカンバンをつくて運動場のクラスの応援席に立てるのだが、毎年、教師の顔をマンガふうに描いたのが多い。またクラス対抗の応援合戦は、男子がガクランにタスキ、ハチマキでドラムカンをたたきながら、勇ましいリズムに合わせて応援の型をやる。勇ましければ勇ましいほど教師は高得点を与えるらしい。
体育大会の開会式のとき、各クラスが3列縦隊に隊列を組んで、吹奏楽部のマーチに合わせて行進する。先頭が校旗をかかげて行進。そのつぎに6人で日の丸を横にして行進。そのつぎにまた6人で校旗を持って行進。それから各クラスがつづく。そして朝礼台の下を通るとき、クラスの先頭が「かしら、右!」と叫ぶ。クラス全員が片手をピッと台のうえの教師のほうへあげてあおぎ見る。


■親は大歓迎
ところで、親の反応はというと、東郷の教育を歓迎しているのである。ひじょうに受けがいい。なぜか。第一に教師は親のまえにいるときは生徒思いの熱血人情教師になっているからだ。親はその「熱意」に動かされる。第二に教師に文句を言ったりしたら、かわいい子どもが何をされるかわかったもんじゃない。子どもたちは人質なのだ。第三に、とにかく高校だけは出てほしい、3年間がまんすれば、“1流”大学は無理でも、ひょっとしたら“2流”大学にははいれるかもしれないと空想するからだ。
学校の方針に反対しないという意味で消極的な親たちが、いつのまにやら東郷高校の熱心な支持者に変わってしまう。それにあわせて“2流”大学合格の空想もふくれあがり、進学がもっともだいじなことのように思われてくる。また、生徒にしても日々の生活が苦しければ苦しいほど、大学へ行けばすべてが解決して幸福になると空想し、それがみんなの信念になる。
しかし、その空想は無残にもうちくだかれてしまう。それは東郷の進学指導を見ればあきらかだ。教師たちは国公立大学合格者をふやすために入試レベルの低い国公立大学を受けさせる。そのために国公立大学合格者の33%は農学部であるとか、ずいぶん離れた沖縄の琉球大学へ12人合格とかいう数字になってでてくる。また、大学に合格しそうな生徒たちは1人につき十数校の私立大学を受けさせられる。高校の進学レベルはのべ人数で計られるからだ。たとえば、1人の生徒が16校の大学を受けて10校合格したとすると、あたかも10人の生徒がそれぞれその10校に合格したかに見える。もちろん、受験料は親が払うのだから、10数校も受けたら莫大な金がかかって困るだろう。
それに東郷では浪人させないことをモットーとしているから、教師は「浪人したら入試のための書類を書かん」とおどかす。とにかく教師にさからうと「指導」されて受験どころではなくなる。それで、みんなはしかたなく教師の言うがままに大学を受けさせられてしまう。


■はみ出しは制裁
さて、こんな集団的・統一的な規制からは、当然はみだすものがでてくる。しかし、東郷では、はみだしたり、さからったりすることは絶対に許されず、徹底的におどかしと暴力によって「指導」される。もちろん、恋愛もご法度だ。
A子さんは、自分がされたことをぼくに話してくれた。彼女は男女交際が発覚して、教師に身体検査をされ、そのとき持っていたラブレターと恋人との会話のはいったカセットテープを奪いとられた。しばらくして、突然、彼女の家に教師がやってきて、彼女の部屋にはいり、引き出しやら戸棚をあけて、なかにあったカセットテープを奪っていった。それから彼女は学校で職員室に呼びだされて大勢の教師たちに取り囲まれた。
プライベートな内容の入ったカセットテープを彼女の目のまえで再生し、ある教師などは、「そんなに好きあっているなら、職員室で彼氏と抱きあえ!」などと言ったという。彼女はあまりのショックに泣き崩れてしまった。
また、A子さんはべつのときにも、男女交際のことで、そのとき以上に激しく「集団指導」されたことがあったそうだ。そのとき、教師は「ほかにもカップルがいるはずだ。言え。おまえの知っているカップルを全部、密告したら許してやる」と迫ったのだ。しかたなく、彼女は親しい友人たちのことをぜんぶ密告してしまった。彼女はそのとき、何も考えられなくなってしまったそうだ。
B君は語る。彼は教師に呼びだされ、「おまえはエールをするときでも、校歌を歌うときでも、なんで一生懸命やらんのだ。どういうつもりだ」と言われた。彼は一生懸命やっていたので、「一生懸命やっています」と答えた。そのとき、彼が口をとがらせているように見えたらしく、教師は「おまえ、オレにケンカ売る気か!」と言って、拳で彼の顔を2発なぐり、つづけざまにビンタを2発くらわせ、頭をつきとばした。
彼は反射的に卑屈な顔になった。すると、教師は温情的な口調で「おまえはすぐにカッとした顔をするのでいかんのだ。社会に出てからそういう顔をしたらマイナスになる。あしたから一生懸命やれよ」。
教師たちは、授業中にほんの些細なことに腹をたてて、「オレはもう、おまえらの教科担任を降りる。おまえらにもう単位はやらん」と言って教室から出ていくことがよくある。そういうとき、教師はいつも室長(クラス委員)を呼び出して、「僕たちみんなで先生のところへあやまりにいこう。ちゃんと反省してあやまれば、先生だって許してくれる。みんな授業が受けられないと困るじゃないか」などと言わせるのだ。
C君はこんなことを話してくれた。球技大会のとき、担任の教師がカメラを持っていたので、クラスで記念写真をとろうということになった。そのとき、後ろのほうにいた7人の生徒たちは、それに気づかずにしゃがんでいた。それだけのことだったのだが、担任の教師は「おまえたちはクラスの団結を乱した!」と怒りだした。室長が「まあ、とにかくあやまりにいこう」と言って7人は職員室へ行った。担任は「おまえらなんか、もうめんどうみてやらん。クラスにはいらせん。追放だ」と言った。
そこに学年主任のIがやってきて言った。「球技大会のときはがんばっていたのに、最後がだらしなかったからダメになったな。“これからはしっかりやますから、クラスを追放しないでください”と言ってあやまれ」。生徒たちの頭を手で押さえ、「どう思うんだ。おまえは担任の先生が好きじゃないんか」と言った。生徒たちは「好きです」と答えた。
しかし、担任の教師は、「おまえたちは形だけやっているにすぎない。おまえらの顔を見ているとぜんぜん反省したようすがない。(1人1人に向かって)おまえなんかふてくされとる。おまえはとくにこのクラスをダメにしている。おまえらのことなんか、もう知らん。出て行け」と言って彼ら7人を追い出した。7人は教室にもどり、クラス全員のまえで、室長の「自分たちだけちがった行動をして、すみません!」ということばにつづいて、おなじことを叫ばされた。
こういう指導は家庭にまでおよぶ。家庭訪問では、教師は生徒の部屋にはいって、ギターやマンガ、ポスターなどがあると注意する。本ダナをのぞいたり、机の引き出しを調べたり、手紙まで読むこともある。その家庭訪問も、ある日突然やってくることが多いのだ。


■人格を喪失する生徒たち 
東郷では普通では考えられないほど「密告」が多い。密告が日常的になてしまっているのだ。後輩の話によると、「そんなことをしていると、オレが先生に言ってやるからな」と言う生徒もいるという。ぼくのころでも密告をすぐに許してしまう傾向が強かった。友だちを売ったのがだれかわかっていても、その翌日にはみんなは彼とふざけあっている。密告されてひどいめにあった当の本人ともすぐに元の関係にもどってしまう。そこには「友だちなんて、所詮そのていどのものさ。しんどいつきあいはしたくない」というホンネがかいまみられる。
密告者のほとんどは暴力などふるわれていない。たとえば、「なあ、おまえは内藤とはよくつきあっているほうだな。おまえは内藤が何をしているか知っているはずだ。言え、言ってみろ」といったぐらいのことで、ほとんどの人が密告しているのだ。だから、みんなは「友だち」のことをぜんぜん信用していない。
ぼくが2年生のとき、こんなことがあった。ぼくはよく色のついたカッターシャツや色靴下を学校へはいてきたが、教師たちにことごとく指導され、はぎとられた。そのうえ、ぼくの親はそれらをぜんぶ隠してしまった。そこで、ぼくは友人のD君から色つきのシャツや靴下を借りて学校へ着ていった。そして、教師に取り囲まれたときにこう言った。「これはD君の父親の所有物だから、許可なしにはぎとると訴えられますよ。」
それで教師たちは退散したが、こんどはD君が職員室に呼び出された。教師は言った。「おまえが靴下やシャツを貸すことで、ひょっとしたら、内藤は学校におれんようになるかもしれんのだぞ。おまえはそれでも内藤の友だちか。なんて薄情なやつだ」。D君はそのとき、強い罪悪感を感じて教師の言うことをもっともだと信じてしまったらしい。D君は、「内藤のためを思って」ぼくに言った。「もらうか返すか、どっちかにしてくれ。貸すということはできない」。ぼくは返した。
すると、ぼくの担任のNがD君に、「おまえのために内藤君がどれほど苦労したことか! おまえが貸すからいけないんだ! 内藤君はオレのかわいい生徒なんだぞ。おまえなんかちっともかわいくないんだ!」とどなりながら、何発もなぐった。
のちにD君はこう言っている。「東郷の教育は絶対にまちがっていると思うんだけど、いざ教師のまえに出てみると、気が重苦しくなってすくんでしまう。そして、教師に何か言われるたびに、それが正しいみたいに思っちゃうんだ。なさけないなあ。」
でも、それはぼくも例外ではなかった。
ぼくは東郷の教育を変えようとしていろいろやってみたが、それはことごとくつぶされた。その後、ぼくはなんともなさけない生活を送っているうち、あっさりとT教頭(現在、武豊高校校長)に懐柔されてしまったのだ。「おまえは勉強もできんくせにえらそうなことを言うな。既設校の生徒は言われなくても勉強するから自由なんだ。おまえらは言われなくちゃ勉強できないから、東郷でしごいてもらっとるんだ。まず勉強してみろ。おまえが学年順位3番以内になったら何をしても自由だ。そうしてやるから勉強しろ。そのかわり、それまではちゃんと先生の言うことを聞くんだぞ。」
こうしてぼくは自分から頭を丸坊主にして、数ヶ月間、いやらしいガリ勉男になった。教師たちはよくこう言った。「おまえら、先生にしかられてくやしいと思ったら、そのくやしさを勉強にぶつけろ。そして、いい大学へはいって先生たちをザマアミロと見返してみろ!」


■生徒会長立候補者を監禁
こんな状況のなかで、ぼくはどうしてもがまんできなくなって、学校とぶつかっていった。
生徒会選挙監禁事件−−それはぼくが2年生のときの9月に起こった。それまで教師たちの無茶苦茶なリンチに腹をすえかね、いつか東郷イデオロギーを崩さなくては、と思っていたやさきに1つの事件が起きた。教師がきまぐれで数人の生徒に「職員室で正座しろ」と言ったのに対して、ぼくの友人が「どうしてですか」とたずねたら、いきなりなぐられたというのだ。東郷では「なぜ」ときくとは禁物なのだ。その教師は彼らの担任らとグルになって、ぼくの友人ら数人をあやまらせてしまった。
なぐられた被害者が「どうもすみません。反省します」とあやまらされる。−−これは東郷の基本方針の一つだ。教師は「東郷では教師の不正に対しても服従させる。就職してから社会に順応させるためだ」ということを親の前で堂々と宣言している。
その後、友人たちは教室に残って教師の不正をなじっていた。こうやって怨みの陰口をたたくだけで終わってしまうのがいつもの結末だ。東郷イデオロギーをつぶすにはブツブツ言っているだけではだめだ。自分たちが人間らしく生きるためにはダイナミックに体当たりしなくては、ということはみんな肌で感じていた。ぼくは多くの生徒から「生徒会長になってくれよ」と言われていた。いつも教師にさからっていたので目を付けられ、見せしめにされることも多く、それで有名だったこともある。
それで、「みんなが応援してくれるなら、後期の生徒会長に立候補してもいいが、どうだい」と言ったら、「よし、やろう!」ということになった。これがことの始まりだった。
夏休みがあけて9月。それまで祖母の葬式があったり、体調をこわしていたこともあって、ぼくが登校した日はもう立候補の締め切り日だった。立候補するためには2人の推薦責任者と40人の署名がいる。推薦責任者は候補者を推薦する演説を全校生徒のまえでしなくてはならない。そのように教師が決めたのだ。
ぼくはいらだった。きょう中に集めなければ水のアワだ。登校してすぐ、選挙管理委員の生徒に用紙をもらった。そして、授業のあいまをみつけては、いろんなクラスをまわって、推薦責任者をやってくれと頼んでまわった。1人はみつかったが、もう1人がどうしてもみつからない。みんなこわがってやろうとしないのだ。自信のなさそうな顔で「いや、ぼくはそういうことに向いていないから…すまん」と言う。
ぼくが立候補しようとしているのがだれかからバレたのか、昼休みになると、担任のNがあらわれてぼくをむりやり面談室にひきずりこんでしまった。ぼくはそこで学年主任のHや生徒会顧問のTや担任のNらに立候補をやめろとしつこく「指導」された。
「生徒会長に立候補するんだったら、“ぼくは立候補しようと思うのですがどうでしょうか”と、ちゃんと生徒会顧問の先生におうかがいをたてて許しをえるのが筋というもんだ」
「おまえは夏休みの宿題をやってないから、立候補する資格はない」
「おまえの成績はどんどん落ちている。このままだと留年だ(ウソ)。おまえは態度が悪いから、ほんとうは退学になってもしょうがないんだ(これもウソ)。おまえが学校におれるのは、オレたちが一生懸命おまえを学校にいられるようにしよう、しようとしているからなんだ。ほかの先生方はみんな“なんで内藤みたいな気にくわんやつを学校においとくんだ”と怒っている。
でも、そんなことはいいんだ。オレたちはおまえのことをかわいいと思っているんだからな。わかるか、その気持ち。おまえが学校におれるのはオレたちがいるからなんだぞ。だがな、これほど言っているにもかかわらず立候補したりしたら、もう知らん。かわいいとも思わん。おまえはもうこの学校にはいられなくなるでな。なあ、内藤、頼むから立候補をやめてくれ、オレたちはこんなにしてまで頼んでるんだぞ。」
「おまえのようなチンピラが立候補したら退学だ。」
このようにして昼休みは全部つぶされ、5時間めがはじまる鐘が鳴った。
午後の授業がすんでからの放課後、ぼくはまず署名から集めることにした。ぼくは1年生のあるクラスにはいって、思っていることをしゃべった。そこにいた生徒は1人を除いて全員署名してくれた。40人までもうあと少しだ。
ぼく意外にもう1人、立候補者がいた。教師にむりやりやらされた人だ。立候補の意志表明の文も教師に検閲されて書き直しさせられたと言っていた。彼は「なあ、たのむから当選してくれよ。おまえが会長になってくれたら助かるよ」とぼくに言った。とにかく選挙にまでたどりつけば勝ちめはあると思った。しかし、どうしても、あと1人の推薦責任者が見つからない。締め切り時間は迫っているし、もう気が気ではなかった。
ぼくが教室で生徒と話していたら、突然、美術の教師Oがぼくの頭をひじで締めあげた。「おまえはいったい何をやろうとしているんだ!」。ぼくは手をほどいて逃げたが、階段のところで担任のN、学年主任のH、数学のS、美術のO、理科のOらに捕まえられた。ぼくは階段の手すりにしがみつき、教師たちはそれをふりほどこうとする。まわりには人垣ができて大勢の生徒が遠まきに見ていたけれど、ぼくを助けようとしたのは親友のS君1人だけ。教師たちは「見せもんじゃないんだ。散れ、散れ!」とすごんでいる。
教師たちは「まあ、いいから来い」と言う。ぼくが「卑怯だぞ!」とどなると、教師たちは「おまえの夏休みの生活態度はよくないから、いまからすぐに指導する」と名目をつけてくる。そして、手すりから手足をふりほどき、5人でぼくのからだをつかみあげて洋裁準備室へかついでいった。ぼくは部屋に監禁されているあいだじゅう、逃げようともがきつづけた。教師たちは、「おまえみたいなやつが生徒会長になってたまるか!」とかどなりながら、ひじで頭を締めあげたり、けとばしたり、机のうえにぼくの両手両足を押さえつけてはりつけたり、足をはらって倒したりした。ぼくは鼻血をだした。
そこにT教頭がはいってきて、暴行「指導」に加わった。T教頭はぼくの胸ぐらをつかんで揺さぶり、ぼくの頭を後ろのガラス窓にたたきつけた。ガラスが割れてぼくの鼻の下と眉間が切れた。それでもぼくは立候補するために逃げようともがきつづけた。血でぼくのカッターシャツはまっ赤になった。それでも教師たちは暴行をやめようとしない。もみあっているうちに、教師の服も血だらけになった。ぼくは窓から「助けてくれ!」と叫んだ。
しばらくして、「これで生徒会長立候補の受けつけを締め切ります」という放送が入った。ぼくはがっくりときて逃げるのをやめた。それで、教師たちは、「おまえは世話のやけるやつだな」とか、しんみりと説教をしてきた。ぼくはムカムカッときた。それから傷の簡単な手当てと、着替えをさせられて、やっと放された。
ぼくは疲れてグッタリしていたが、それでも動きつづけずにはいられなかった。ぼくは病院へ行った。医者は傷を2針ぬってくれた。1週間のケガだった。ぼくはそれからすぐに愛知県教育委員会の高等学校教育課へ行った。ぼくはそこでSという職員に、きょうあったことや東郷高校の日常的な暴力についてくわしく話した。ぼくが「そういう暴力とは戦わなければ」と言ったら、S職員はこう言った。
「戦うということばはおかしい。生徒が先生に対して戦うなんて。学校とはそういうところじゃありませんよ。先生と生徒は目上と目下だということを忘れないでもらいたいですね。学校は生徒が先生に教えていただくところです。先生だって生徒のことを思ってやっているんです。きみの考えはまちがっている。きみはそんなにしてまで学校にいる必要があるのかなと思います。」
ただことばづかいがちがっているだけで、日ごろ教師が口にしているのとまったくおなじ答えが返ってきた。そうしているうちに通報があったのか、東郷の教師たちと父親が入ってきた。彼らと教育委員会の人たちはニコニコと話しあっていた。そして、教師が猫なで声で話しかけてきた。教育委員会と教師、父親は、「内藤に事情を聞いていたら、急にあばれだしたので、先生たちはそれを取り押さえた。この場合、そうせざるをえなかった。あのケガは内藤が興奮して自分からガラスにぶつかってできたものだ」というふうに話をまとめた。
帰りぎわ、担任のNは心底かなしげなおももちをしてこう言った。
「もうあかん。オレはいままでおまえのことを一生懸命に考えてきてやったが、教育委員会にまで行ったんじゃ、もうだめだろう。オレはおまえが学校にいれるように校長さんにたのんでみるけど。ああ、おまえはなんてことしてくれたんだ」
彼は人情っぽくしゃべった。もし、ぼくがそれに乗れば、涙を流しかねないだろう。
その後、過労がたたったのか、ぼくは腎臓病になってしまって、しばらく学校を休んでいた。そこに担任のNから電話がかかってきた。「おまえが教育委員会へいったことで、校長さんはおまえを退学にすると言っているから、そのまえに転校したほうがいい、転校先も校長さんがさがしてくれる」。それで、疲れはてていたぼくは転校することにした。どういうわけか、私学にも定時制にもことわられ、通信制高校へ転校した。あとになって調べてみて、退学させるということがウソだったと気づいた。

■おわりに
信じられないような話かもしれない。しかし、この東郷方式の教育は、愛知県ではその後つくられた新設校の手本となり、日本中から、そして外国からも参観者が追しよせている。こんな怪物に全国の高校生が踏みにじられてはたまらない。小さくても声をあげて、こういう事態をなくしていきたい。 (愛知 ・ 高校生)


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■関連サイト

  • Wikipedia:管理教育

  • 宮台真司さんによる『学校が自由になる日』(内藤朝雄さん、藤井誠二さんとの共著)あとがき

  • 愛知の管理教育@伊藤剛のトカトントニズム

  • 「70年代千葉県管理教育と日の丸・君が代」(以下、山口智美さんのブログ)

  • 「千葉管理教育その2:業間体育、掃除、給食」

  • 「千葉管理教育その3:「男女同室着替え」編」

  • 「千葉管理教育その4:体育編」

  • 「千葉管理教育その5:小学校体罰編」

  • 「千葉管理教育シリーズその6:密告文化と暴力、管理」

  • 「千葉管理教育番外編:親の視点」

  • 「管理教育についての雑感」

  • “いじめ学”の時代

    “いじめ学”の時代