2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

全体主義としての教育の論理

拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.114-119 (初出 『図書新聞』2006年5月20日) 全体主義としての教育の論理1991年7月28日、瀬戸内海の小佐木島にある「風の子学園」で、坂井幸夫園長が、少年と少女を手錠でつないでコンテナに監禁し、熱中症で…

日本国憲法の基本価値は、「人類普遍」の人権、自由、平等でなければ

拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.103-1106 (初出は『図書新聞』2006年2月18日) 日本国憲法の基本価値は、「人類普遍」の人権、自由、平等でなければならない1993年1月、山形県新庄市の明倫中学校の体育館で、ひとりの少年がマットに逆さに突…

「半」超越性を蔓延させないための装置を社会は必要とする

拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.144-148 (初出は『図書新聞』2006年10月21日) 「半」超越性を蔓延させないための装置を社会は必要とする 隆起一貫型超越性は、個別の関係を超えて、普遍的な水準に規範の準拠点を設定する。社会の規模が拡大…

天皇の象徴責任論

拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.132-135 (初出は『図書新聞』2006年9月2日号) 天皇の象徴責任論 前項では、プリミティヴな感情の憑依(ひょうい)の論理がそのまま、機能分化した社会に必要不可欠な普遍性や超越性に接続しうる「半」普遍・…

二種類の国家観

拙著 『いじめと現代社会』 (双風舎、2007年) pp.126-131 (初出は『図書新聞』2006年7月15日号) 二種類の国家観 国家観には二種類ある。 ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や…